ホウチガブログ

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〈613.テレビ電話の違和感〉

6月2日。

 

ゲームが好きなのはなんども言っているが、さして知識がない。体験談しか語れないうちはトーシローである。なので知識を蓄えようと思って、表紙がかわいい文庫本を読んだ。

 

「テレビゲーム文化論 -インタラクティブ・メディアのゆくえ-」桝山寛さんが書いた、ゲーム文化の歴史やらその特徴である。ひとつひとつの解説が非常に面白く、2001年出版とは思えないほど2020年でも考えるべきタネが多くある。

ゲーム好きなら読んで損がない入門書だ。

 

 

その中で、今の状態に深く突き刺さる一文があった。

直接紹介するのははばかられるので説明すると、人間はヒトの顔よりもその人が見ているモノをみたい、と考えられる。

手に取った人は183ページを見てください。

 

ナルホドな。

2001年時点でテレビ通話があったことにも驚きだけど、2020年になっても自粛生活が定着してリモートワークが話題になってようやく使われるようになったシステムだろう。

 

私自身、テレビ電話は好きじゃないし、できれば直接話をしたい。この理由がいまいちわからず、同じ場を共有してないからだろうとか、自分の顔が端っこに写ってるからだろうと思った。

しかしながらどうもそうじゃないらしい!

 

相手の顔ではなく、相手が何を見ているのか、ここがひとつ大事なポイントらしい。

なるほど納得がいく。同じ物事を話題にするとき、その対象を一緒に見ている。目と目をあわせて話していても、ずっと目を見ているわけじゃない。口を見たり、鼻を見たり、髪を見たり、あるいは後ろの風景を見たり。

その目の動きで、相手が何考えているかなんとなくわかる。自分の話に興味持っているか、あるいは別のことを考えているか。その情報が極端に減る。対人なのに、相手の情報が少ない。

ここが、テレビ通話が苦手なポイントだろう!

 

 

本の中では、これを通してゲームのロボット化の可能性を考えるためおもしろいポイントだけど、これは4月5月の生活を通してコミュニケーションを考える良い材料になるだろう。

相手の情報がほしい。というのも、相手が不快じゃないかどうかを知りたいからだ。あるいは、自分がどんなふうに捉えられているかを知りたいのかもしれない。

 

しかしながら、相手が考えていることの情報がありすぎても困る。考えていることすら読み取られるようになったら、余裕を持ってコミュケーションすることもできないし、なにより相手の考えていることのダークなところすら見えてしまう。

対人コミュニケーションがあんまり得意じゃないのは、情報となりうるポイントが多すぎることかもしれない。そういった意味ではある程度制限されているテレビ電話が良い時代がくるのだろうか。

 

適度に制限されてることが肝なんだろうな。

情報過多になると、確かにいいことはあるけども、しんどくもなるよ。

なにごともバランスなわけです。

 

 

戦闘力54日目

449(+9)

勉強+4

その他+5

 

腹が痛くても本は読むのです。楽しいもの。