6月3日。
「13番目の客」という世にも奇妙な物語をご存知でしょうか。
ネタバレになるので、見る前に見たほうがよいでしょう。
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とある床屋に入ると、自分が髪を切られたのちに店員として13人の客を相手するまで出られなくなるという話です。繰り出し式鉛筆のように、常に店員は13人で維持されていく。
この話の肝は、辺鄙なところにある床屋なので客が滅多に来ないというところです。つまり、13人の相手をするには一年以上かかってしまう。そうしていると、床屋に適応してしまうのだ。
物語の中で人が新しい環境への適応について段階を経ると述べます。①興味→②不満→③知ったかブリ→④住人。
そしてその後に5段階目があるそうで。それがわかるのはオチで、という話。
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これは環境に適応する話ですが、適応するということは、環境に自分が存在する意義を見出す、ということだと話の中では語られます。
つまり、アイデンティティを見出すということでしょう。
この話は、新環境に対してアイデンティティを見出す過程の話だということです。
そうなると、誰しもが痛感する話だと思う。
自分に合わせて考えてみる。
僕は大学院生として2年目に入った。去年一年は完全に自我が崩壊していた。
期待で入学したものの(①)、所属する研究室は自由放任主義であり抱いていた研究計画は消え去った。もはや大学院に存在する理由があるか(②)。しかし、一年経ってようやく研究目的がわかってきて(③)、毎日研究室で生活をするようになった(④)。
大学院生は非常に脆い。特に1、2年は。
研究を進める一方で、まわりは経済的自立していく。会社や同僚の中でアイデンティティを見つけ出すが、基本的に大学院は論文を作り出す機関だ。所属先を愛するほど親しい間柄はなかなか作り出せない。所属するサークルもない。
アイデンティティが脆い。アイデンティティが確立するのは研究が軌道にのってきてやっとだ。
そういうしんどさがある。
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環境の住人となってしまえば、そこにアイデンティティが根を張り出すため安定するだろう。
もちろん現実はそんな簡単な話ではないだろう。環境での人間関係も大事になる。仕事やら趣味やらで会話の質も変わってくる。
とはいえ、ちゃんとなにかしらに所属している意識を持つことが、心強い後ろ盾になるだろう。
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さて、13番目の客におけるオチ。環境への適応の5段階目はなにか。環境に適応し、住人となったあとは。
環境に依存するのだ。
これはつまり、新環境に適応できない②不満から出てくる行動だろう。前の環境がよかった、前に戻りたい!そう思って苦しむのだ。
僕もいつかは研究室に戻りたいと苦しむ夜が来るのだろうか。論文が読みたくて仕方なくなるのか。
来ないんじゃないかなぁ。それはつまり、住人にはなりきれてないということかしら。
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戦闘力55日目
459(+10)
勉強+4
その他+6
友人と対面で話をした。やっぱり生身がいいような気がするよ。