ホウチガブログ

~方向性の違いでブログ始めることになりました。~

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〈621.都会の境界人〉

6月10日。

 

東京で生活してもうじき1週間が経とうとしている。いまはイソーロー生活なので困ったことは何一つないんだけども、あるとすれば所属先がふわふわしていることだろうか。

 

 

地元であれば、K地域の家に住む私とか、4人家族の一員みたいな帰属意識もあるし、友人と会えばどこどこ中学校OBみたいな連帯感がある。

京都であれば地元のそれとはだいぶ質的に異なるけども、正式身分として保証してもらえる大学が近くにあるわけだし、なにより現在のリア友という人たちも同じ京都にいることが多い。

 

ところが東京はどうだ。友人も旧友を探せばいるかもしれないが身近ではないし、家族ももちろんいない。所属するなにがしもない。完全にちゅうぶらりんな存在として生活することになる。唯一現実との結びつきがあるのはイソーロー先での生活と、カフェの店員さんにコーヒーを注文するときくらいだ。

 

 

境界人、といわれる状態といえるのだろうか。境界人なら境界人なりのコミュニティが形成されるらしいが、いまの東京でそれを探しましょうとは思わないし、なによりイソーローだもの東京に今後しばらく住むわけでもなかろう。いつかは住むだろうが、いまじゃない。

なんだかむず痒いけども仕方ない、木からぶら下がってくるミノムシみたいに、イソーロー先を纏いながら風に任せてぶらぶらするしかあるまい。

 

 

これが期間限定の身分なので耐えられるが、永続となるとなかなかしんどい。コミュニティを探さなくちゃいけない。サークル的な趣味縁かもしれないし、地域の自治組織かもしれない。あるいは高架下のスケボーのニイちゃんと仲良くすることになるかもしれない。

 

その手っ取り早いのが、働き先を探すということにもなるだろうな。

金ももらえるし、居住する正当な理由も得られる。なんともまあありがてえことじゃねえか。

 

現代でアイデンティティを得るっているのはなかなか難しいことなんだと実感しております。大きい物語の終焉の先の小さい物語の蔓延というやつでしょうか。

みんなすげえよ。

 

 

戦闘力62日目

510(+13)

勉強+10

その他+3

 

今日は良い1日をカフェで過ごさせてもらった。アメリカのデモについてもちゃんと勉強する必要があるかもしれない。アフリカ研究科に所属しているわけだし。