ホウチガブログ

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〈623.幻影の時代〉

6月12日。

 

先日入った定食屋でテレビが置かれていた。流れていたのはドラマでそんなたいしたことない流されるような程度のことだったと思う。

そんな程度だったけども、とてつもなく楽しかった。というのも、テレビをちゃんと眺めるのは数ヶ月ぶり、あるいは数年ぶりになるかもしれないから。よくわからないcmすら愛おしく思える。

 

 

実家はふつうにテレビがあって、隙あらばバラエティが流れている家庭だった。なので決して文化的にテレビがないわけじゃない。

大学入ってからめっきり見なくなった。別に僕は変わらず生きていける。強いて見る必要がないし、もっと踏み込んでしまえば魅力がなくなった。

今の時代、YouTubeもあるしAmazonプライムやらNetflixやらテレビより楽しいものがたくさんあるからね。

 

僕にとってテレビは、もはや公衆電話みたいな感覚だ。あったらもはやすげえ!ってなるみたいな。

 

 

パソコンで見る映像のなにが良いって、常に自分が楽しみにしている映像だけを見ればいいし、そこには楽しさが約束されている。もちろんテレビ番組ももともとはそうだろうけど、ネットに比べちゃうと分母が違う。今回つまんねえなと思ったらその場で別の楽しさを探す海に潜れる。12チャンネルの中から選ぶ必要もないし、有料チャンネルをわざわざ支払わなくてもいい。

便利な時代だぜ。

 

 

テレビが家庭に入り始めたのは、日本だと三種の神器とか言われるくらいの話だろうから戦後だろう。どんなにはやく見積もっても50年代後半かしら。60年経ってしまえば別のなにかしらにとって代わられるということか。

単純に考えると、いまから60年後の2080年にはNetflixやらYouTubeも時代遅れな産物になりうる。どんな時代が来るんだろう。

 

テレビ番組がもたらしたのは、距離と時間の壁を取っ払ったことだろう。ネット番組がもたらすのは、それらを選り好みできる個人趣味の時代だろうか?

選り好みの次はなにがくるのだろう。選ぶことすらめんどくさくなり、また大衆化を求めるのだろうか。繋がりを求めるのだろうか。あるいはより一層個人化が進んで、自分の頭の中を映像化するシステムで自己満足の世界に浸るようになるのだろうか。

 

ブーアスティンという学者さんが言っておられる。現代アメリカは幻影の時代だと。これがまだ20世紀の書物での話だ。真実とはなにか。そも、真実は存在するのか。

そういや僕らは幻影の時代を生きているんだったね。

 

 

戦闘力64日目

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金曜はオフ日なのです。土日もオフ日なのです。やったね。