6月20日。
駄文。
夜の寝付きが悪くて、午前3時に書いている。まったくもって不健康だが仕方なし。やることをやればきっと眠くなるだろう。眠れないのはきっとまだやり残したことがあるから。
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そういつ幽霊もいるそうじゃないか。地縛霊っていうんだっけな。死んだことを受け入れられずに成仏できないみたいな。
死ぬことを厳密に定義できないので、寝るのも一種死んだことと同義になりうるっていう話を聞いたことがある。それなら確かに、今日という生きる日を全うできなかったから地縛霊として夜中に眠れずに起きてしまう、なんてのも理解できてしまう。
死ぬのと違うのは、明日があるっていう確信があるから諦めて寝ることができるというのもあるけども。
決して眠くないわけではない。眠いけども、それとおんなじくらい起きてないとなあとぼんやり思ってしまう。起きたところで何をする気もないんだけども、寝るのは心が落ち着かないっていうか。よくないメンタリティなのはわかるんだけども仕方ないじゃない。
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修士論文の研究テーマが間接的だけど死ぬことと関わる内容なのは死ぬことをどう受け止めるのかを真面目に考える時間が欲しかったからなんだと考えてみるわけです。観光っていう明るい話題とそこの裏にある死んでいった人たちの歴史みたいなことなんですが。
ちょうど読んでいる本とも関わるけども、きっとこういう光と闇の関係性は生涯のテーマとして僕にまとわり続けるんだろう。
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こんなことをグダグタ書いてしまうのはもったいないけども、いつか見返した時に不安定だったころを思い出せるようにこういうことも書いておきたいとも思っている。なぜならそういう一種の研究というか、自分自身を被験体にした社会分析をしてみたいと最近は思うようになったからだ。実際に分析できるのは50年後とかの話だろうけども。
つまり、自分が生きることを通して考えたことを、自分が死ぬ間際になってどう認識するのかを見てみたい。きっと過去の栄光にすがるような分析をしたり、あるいは逆に過去を蔑み今を最上のものとするような、歪な分析になるだろう。いまを冷静に見れるのは、案外いまだけなんじゃないか。そうとも考えられるわけであります。余計な比較対象をまだもってないもの。
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戦闘力72日目
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