〈644.友人について〉
7月3日。
京都に戻ってきて、また一人の部屋にいる。6年目なので、もう一人暮らしの方が落ち着くくらい。好きなだけゲームして、好きなだけ動画見て、好きなだけ漫画を読む。すべてコントロールできる、いや、しなくちゃいけない。
憧れだった一人暮らしも、慣れてしまえば人恋しくなってきたりもする。結局ひとりで生きていくなんてまだまだ覚悟できてないようです。寂しい日も多々。
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日中友人と話をした。楽しかった。唯一の寂しさ溶かしポイントだった。帰宅するとまた寂しくなった。
部屋に落ちてたお土産用の豚骨味のベビースターラーメンを食べた。家に泊めてくれたり、おすすめの飯屋に連れて行ってくれたりするような、気前の良い友人を持ったのは幸せだ。
連絡を取るのは数ヶ月あるいは半年とかに一本くらいになった。それでも仲良くできる、距離感を忘れないでいてくれる。ありがたいことです。
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大学卒業するときに、親しい友人が言ってくれた。
人生それぞれのステージで仲良くなる人は違ってくる。いま、中学のやつと絡むことがほとんどなくなったように。だけども、それは仲良くなくなったわけじゃなくて、優先順位を下げただけであって。毎日の生活の中からはいなくなるけど、友人であり続けるのに変わりはないから。
物理的な距離が離れれば、心理的な距離も空いてしまうのはどうしようもないこと。いくら電話やメールで伝え合ったとしても、言葉はすべてじゃないから。
でも関係性の糸はなかなか切れるものではない。物理的な距離が縮まったときにまた糸の存在を確認できる。そんな気がする。
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10年後、20年後になって。どれくらいの友と会うことになっても、今の友はおそらく友でい続けているだろう。連絡頻度はいまよりもっとなくなるかもしれないけど、会えばまた暖かくなる。
もっと正確に言えば、むこうもこちらも「会いたい」と思っていれば、連絡頻度は関係なくなる。
会いたい、と思ってもらえるような人間になりたいものです。会いたい人間は、楽しい人間として良い刺激を友に与えられる人間のことでしょう。そしてなにより、お互い優しくありたい。
俺もがんばらなくちゃあ、いかんよ。
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戦闘力85日目
646(+5)
勉強+3
その他+2
会える人には優しくせにゃいかんよ。会えなくなるもの。会った時に楽しい時間だと思ってもらえるように、色んな体験をして勉強をする。それもモチベの一つになりうるのね。