7月4日。
今読んでいる本はなかなかに厳しい。難しいわけではなく、筆者の主張も強すぎるわけでもないが、扱っている内容がなかなかにハードなものだ。詳しい内容はやはり読み終わってからが良いだろう。とりあえず他人の「痛い」というのをどのように理解するのか。そういう話である。
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戦争をどう伝えるのか。ここの議論から始まる。平和を伝えるためにムゴイ写真を使うこともできるし、抵抗心を高揚させるために使うこともできる。そういう場面では分厚いルポよりも、写真のパワーが勝る。
そうやって、戦場カメラマンを何人か例を示したり、絵画の創作と比較したりする。
なるほど。文章をいくら重ねていってもたどり着けないのはそういう領域なのか。それを乗り越えるために写真は使われるのか。
写真という、見る人の解釈でいくらでもねじ曲げられていくのが好きになれなくてカメラに頼りたくなかった。でもそれって文章でも似たようなことが起こりうる。
写真はプロとアマの境界が曖昧で、瞬間的な運で左右される。それに比べ、絵や文章は努力でカバーできる。そう説明がされていた。カメラマンも構図の勉強など途方もない努力をしているだろう。そういう構図に縛られない写真が素晴らしい、というのはただ不勉強をごまかしているだけな気がする。
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というような、表現と伝達と受容について考える本。究極的には分かり合えないとか、努力して分かり合えるとか、そういう話ではなく。
私が表現したいものは、私が痛いと感じたもの。研究しているものも、昔の誰かが痛いと感じたもの。
受け手にとっては、消費される情報群の一部にすぎない。どうにかしてこれを乗り越えたい。
乗り越えようと努力してきた先達と一緒に、つまり本をたくさん読むこと。これが乗り越えるための最初の一歩になるんでしょう。
本を読もう。
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戦闘力86日目
654(+8)
勉強+5
その他+3
二日酔いだ。頭が痛い。胃も痛い。
っていうのを伝えるには写真よりもレトリックな気がするけども。レトリック増やすためにも良い文字と出会うことだ!読まなきゃ。