ホウチガブログ

~方向性の違いでブログ始めることになりました。~

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〈653.歴史ってなんだ〉

7月12日。

 

朝帰りである。別にとってもやばいというわけではなく、午前中起きれないので午後から動き出した結果だ。あまりよろしくはないことだけど、人がいない深夜というか早朝を自転車漕ぐのは気持ちがいいぞ。今日は特に涼しいというか寒い。

 

朝帰りとなると異世界を生きているようでなんだかわくわくするけども、それもきっと非日常の今だけだろう。バイト帰りのにいちゃんや散歩しているおばちゃんをみていると普段通り特で無感動な様子だ。

異様なものっていうのは、だれかの日常にあるものなんだね。

 

 

関西で一人暮らしをはじめたときは、それはそれは心躍ったものだ。かつての日本の中心だぞ。歴史があちこちにある!

しかし住んでみるとどうだ。ハナホジりながらふーんで済んでしまう。改めて言われてみると、200年くらい前にはちょんまげ和服で溢れた天皇のお膝元だったんだろう。

でもそれは日本中どこでもそうで、地元の群馬も当然ちょんまげがいたろう。まあ農民のが多いだろうけども。わざわざ京都じゃないと感じられないのが歴史!というわけじゃない。どこだって歴史がある。それがたまたま整備されているのが京都だったりなんだりするだけで。

で、その整備っていうのも結局政治的な背景があるわけであって。「作られた歴史」なんていうふうに観光学だったら言われることもあるやつだろう。

 

 

しかしまあ、そういうふうに「ここが将軍の生誕の地ですよー!」って言われないと意識しない。意識しないがずっと続くと認識しないに変わる。認識しないがずっと続くと知らないになる。そういう意味でも、外の人があれはすげえぞと価値を評価するのは大事ではあるんだろう。そうじゃないと、田んぼのあぜ道とかに弥生土器が使われてたりするらしいよ。

そういう意味でも、観光化するっていうのは悪なだけじゃないと思うんだけど。多少脚色されても仕方ないんじゃないかしら。

 

最近は、真正な歴史の価値が分からなくなってきたよ。

 

 

戦闘力94日目

708(+5)

勉強+5

 

仮にだよ、将軍〇〇は存在しませんでした!ってなったところでなんの問題があるんだろう。もちろん、歴史の研究だと大問題になるんだろうけど、嘘でもホントでも実生活じゃあなんも起きないのよ。正しいのを見つけられたら、それはそれでおもしろいんだけど。

別に歴史不要論を語るわけじゃない。歴史は学ぶ必要ある。でもその真正性ってどうやって保証するんだろうね。