ホウチガブログ

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〈684.自己分析する研究者〉

8月12日。

 

京都はゲリラ雨があった。正確には夕立ちというべきか。突発的な雷雨。

所用で外出していたのだが、奇跡的にも雨一滴当たることなく帰宅ができた。雲が厚く暗くなってきたから今帰るのはやめよう、なんとなく空が明るくなってきたから今帰ろう、帰りにスーパー寄りたかったけどまた暗くなってきたから帰ろう。そうしてゲリラとゲリラをかいくぐって、ベッドに入り込むことができた。

 

 

この勘というのも、なんとなくではなく自分なりの根拠があっての回避だったのでちょっと嬉しい。

この勘を養ったのは、間違いなく実家での生活だ。畑広がる実家付近は当然山の方まで空を見渡せた。なので、親と外出すると雲の位置の話が夏場はよく出た。色、厚さ、遠近などなど。

そういう生活の知識が役に立ったのは久しぶりだ。帰省がどうだとかいう今の時期だからこそ、なんだか実家での生き方を身をもって体験した。悪くない気分だ。

 

 

こういう話は、正しいかはわからないが「在来知」とかいうのかもしれない。ぼくが所属している研究科なんかだとよく話題になる。もともとその地域に伝わる知識。それはもちろん科学的な根拠はなく伝わってきたけど、調べるとちゃんと科学的に正しかったりする。

〇〇療法っていう実益があるのもそうだし、紛争を回避するための社会関係の取り結び方なんかも含まれるのかな?

今日の僕の知識は、在来のものかはわからないけど、おそらく親も祖父祖母から聞いてきたんだろうし、天気予報とは別の、自分の眼を信じた上での決定だろうから似たようなものだ。

 

研究対象と考えると、自分とはまったく関係のない遠い存在であるかのように思われるけど、自分も似たような行動をしているんだなあと認識を改められた良い経験だった。

 

 

そもそも、研究したいと思うような興味があることって、これまでの自分の人生と深く関わりがあるんだろう。だからこそ調べたいと思う。研究って、なんで?どうして?が出発点なんだろうし、それって実体験のなかで生まれるものだと思う。

 

研究は、なかなか遠回りながらも実は直接的に自己分析していることに対して変わらないんじゃないかな。

 

 

戦闘力125日目

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でも雨ってなんでネガティブに受け取っちゃうんだろうな。悪いもんじゃないと思いたいところよ。