ホウチガブログ

~方向性の違いでブログ始めることになりました。~

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〈687.研究室にて〉

8月15日。

 

終戦の日。僕は当然経験していない。だから想像の中の辛さしかわからない。

目の前で人が撃たれたのを見たことがない。大量の血が流れる人を見たことがない。痛みも知らない。悲しさもわからない。

ただ、事実として知っているだけ。

親戚の人も戦地に行き、小さい箱の中に入って帰ってきたらしい。血が繋がる人だけど、遠い親戚なだけで流れていく情報でしかない。もはや罪悪感もない。そういうことは知っておかなきゃいけないと思う。だけども、結局他人事な気がしてしまう。

 

 

しかし、最近になってそれが変わってきた。研究しているおかげだ。

日本のダークツーリズムとなるとやはり戦争関連の場所が少なくない。そして世界のダークツーリズムを見ても、戦争が最も悲惨な歴史だと感じざるを得ない。平たくいえば無差別殺傷だもの。

どこまで史実かはわからない。ただ、どんなに酷いか、どんなに恐ろしいか。こんな言葉だと言えないような、吐き気を催すような悪だとしていいんだと思う。

 

 

なぜ人を殺めてはいけないのか、戦争をしてはいけないのか、僕が知る限りではその根拠が成立していない。人権が、というのは表面的な話でしかない。なぜ人権が必要なのかという議論につながっていく。

 

しかし、ただ純粋に悲しいから、それでいいんだと思う。

支えを失うと心は折れてしまう。そんな辛いことはない。だから大切なものを奪っちゃいけない。

 

もしも、この感覚を共有できなくなったとき、人間は滅ぶんだと思う。滅んで然りの存在になる。

だからこそ、大切なものを大切に扱う、人の大切なものも大切に扱う。すべてのものに敬意を払う。それをし続けることが平和なんだと思う。

 

 

難しい。相手に敬意を払うから必ず自分に敬意を払ってもらえるかはわからない。自分だけが被害を被るかもしれない。

その不信感が高まった時に衝突をする。仮に善人がいたとして、その人は常に被害を被り続けることになる。それでも大切にしなくちゃならない。

 

でも、聖人が時に悪さをし、悪人が時に善をなす。そういう矛盾によって人間が人間であり続けることでもあると思う。

悪をしてしまったときに、許されることがなければ破滅する。悪をしてしまったときに、立ち直るためには支えてくれる存在が要る。

 

結局すべては信じることからはじまるんだと考える。ただ、これも人間が考えた話でただの理想に過ぎない。常にできるわけない。

 

 

今日という日に考えてみるのがいいだろう。なぜ戦争がダメなのか。なぜ人を傷つけるのはダメなのか。答えはない。答えだと信じ、同時に疑うことしかできない。

 

そうやって考え続けることが、僕たちには一番必要なことなんだろうから。それが一つの手の合わせ方だと思う。

 

 

戦闘力128日目

903(+6)

勉強+2

その他+4

 

とはいえ、大切なものを守るために殴らなければいけない時もあるとは思う。でも、ベースには敬意。忘れがちなので肝に銘じておく。