8月16日。
大学図書館にある、日本語で「ダークツーリズム」と銘打たれた本はすべてさらった。隅々まで読解したわけではないけどザッと目を通した。
その中でいくつか覚えているフレーズがある。そのうちの一つ、「ダークツーリズムはひとりでいくと良いだろう。」
この言葉が意味するところ。
誰かと行くと感想と一緒に抜けていってしまう心の叫びを、一人でじっと苦悶し、消化できず考え続けることこそが、この旅の方法を選ぶことの醍醐味だ。
申し訳ないがどこの本のどなたの言葉だったかは覚えてない。だけども、すごくいい言葉だと思い、言葉だけは覚えていた。
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映画もひとりで味わうものだと思う。
もちろん、内容がそれほど重くない勧善懲悪ものだったらいいかもしれない。ホラーとか、そういう物語の内容とか背景とは別のところが大事にされる作品なら、友達や恋人と見ていいだろう。
しかし、期待している映画、味わい尽くしたい映画であれば、ひとりで見るべきだと思う。誰かと見るなら、そのあともう一度ひとりで行っていいだろう。
昨日見た映画もそうだ。ひとりでみた。スタッフロールが流れ、明かりがつき、映画館をあとにする。その間ずっと苦悶し、葛藤し、胃もたれを起こし、そうして今日も心にずっと残滓がある。すっきりしない。それでいい。
その残滓がなにかのトリガーになってくれるだろう。ダークツーリズムも同じだ。悲しみ苦しみを知り、いつになっても消えない残滓が、いつかパワーを持ち始める。それこそ、知ることの意義だと思う。
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孤独を楽しめる人こそ面白い人。そんな話を聞いたことがある。
ひとりで考える力がある人が切り開く、独自の解釈が面白いのかしら。そんなふうに理解していた。
そうなんだけど、きっとこの悲しみ苦しみを知った残滓こそ、楽しみが生まれるもとなんだと思う。苦しみは教訓にもなるし、ネタにもなる。共感も生むし、寛容のきっかけにもなる。
だから、苦しむ時こそ一人の時間を味わうのだろう。ただし、危険な薬には違いない。用法や用量を間違えると破滅を導く。そのギリギリのスリルを味わうことができる大人になりたいものだ。
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戦闘力129日目
912(+9)
勉強+3
運動+5
その他+1
苦しみを知ると価値観の絶対性を疑うことができる。だからこそ、苦しみとも仲良くやっていくことが大事なんじゃないかな。