8月20日。
親しければ親しいほど、距離を置いても変わらない。親しければ親しいほど、疎遠になっても変わらない。距離が近くなったとき、元々の関係性と変わらない付き合いができる。
それが親友というものだ。距離も時間も関係ない。
その距離が永遠に近づくことはなかったとしてもきっとそうだ。その時々の優先順位は下がり、会話の数が少なくなっても。親友ということは変わらない。そう信じたい。
。
これまでもそう考えていたけど、この間ようやくそれを現実に適応させることができた。
大学時代の親友、高校の親友、中学の親友。連絡を取る方法を失って、今後会う確率がほぼゼロになったとしても、それはそういうものだ。だとしても関係は変わらない。永久に凍結されるという表現では悲しいけども、変わらない親しさを持ち続けるという表現であればいくぶん心が休まる。
そして永久の凍結というのはない。考える限り解釈が新たに加わり、マイナスにもプラスにも変わりうる。
しかし、それは二人の関係ではなく片方から見ただけにおいて。やはり、新しくコミュニケーションがない限りは相互の認識の刷新はされない。良くも悪くも。
。
親しくなければいつか忘れる。大量にある人間関係のネットワークのうちの一つに過ぎない。
だが、親しければ忘れることはない。細くなっていっても切れることはない。
そしてその繋がりは、二者間でしか解釈できない。彼らだけの認識があり、第三者からの解釈は当の本人たちになんの意味もなさない。勝手に赤の他人がそう解釈しただけ。
その二人だけの関係を忘れちゃならん。第三者の評価に流されてはいけない。社会的な常識とは関係ない。
というか、忘れないし流されんだろう。それが親友だ。それが二人だけの、あるいはその仲間内だけのコミュニティだ。そこだけの常識があり、それは往々にして一般常識じゃあ理解できない。これを忘れちゃいけない。
それを僕は忘れていた。社会的な指標で親友との関係性を測り、僕の態度は悪だと認識していた。
もちろん、ある程度反省するところはすべきだけど、全否定すべきじゃない。悪を許容してくれるそいつがいたことを忘れちゃいけない。常に相手の存在ありきなものがコミュニケーションだろうが。
だからこそ、そのコミュニティだけの常識すなわち思い出を、大切にするのが良いことなんだ。それが相手を大切にしているってことだ。
。
戦闘力133日目
932(+3)
その他+3
僕は6年近くそれをしてこなかった。僕が勝手に親友との関係性を解釈し、自己嫌悪に陥っていた。
だが。自己嫌悪に陥るような態度を取ったのは、そいつが俺を許容してくれていたからだ。そしてそれは俺側もそうだったろう。
ここからはただの普通の親友の関係に戻る。優先順位も下がり、前より思い出すこともなくなるだろう。君とはただの親友だから。
大学院の、大学の、高校の、それぞれの時代の親友たちと同じ、ただの大切な親友なのだ。