8月30日。
なにごとも等価交換だ。
時間と機会であったり、金と物であったり、言葉と感情だったり。等価交換ではあるけども、同時に等価でないことにすることもできる。
10円で買った駄菓子をみんなでシェアしたら10円以上の価値が出る。失った時間を機会費用で考えたらあんなことできたと考えることができるけど、その失った時間で得ることができたものも間違いなくある。
この時間全てを単語の暗記に使ったらいまごろどんなに映画を流暢に扱えただろうかと思ったりもするけども、その100時間をゲームに費やした時間は人生で考えたらきっとなにかの礎になるのだろう。
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だいちは独学での学びによって、遊ぶ時間を捨てた代わりに職を得た。そして得た職はお金をもらう術になるし、今後独立するとか、他の会社に行くとか、あるいはこの独学方法を発信するとか、いろんな方法がある。
仮に100時間だいちが学びに使ったとして(実際はもっと大量の時間を投入しているだろうけど)その100時間以上の価値があるんだろう。
大学一年生の時に、学年で1番の成績をとって奨学金をもらった人がいる。その人にある人はこう言った。
"成績を取るために使った時間、そしてそれで得た奨学金。その時間をすべてバイトに当てたらきっとその奨学金よりもっと得たものは大きかっただろう。"と。
そりゃあ数字で見たらそうかもしれないね。でも、そうだからと言ってどちらが優れているかの判断は誰にもできない。できるのはそれを実践した人だけだ。実践した人だけが、その選択について判断をする権利を持つし、それを話す権利を持つ。それを外野が言ったところで何も心に響かない。
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よくある話、自分のこれまでの選択を肯定するためにこれからの人生を頑張るのだと。
機会費用を考えるのは大事かもしれない。それとおんなじくらい、いまの選択を肯定するのは大事なのかもしれない。
これは僕自身がいま考えるべき話題である。後悔の多い人生だけども、まあそういうことがあっての今なので、それもまた良しかと考える方が気が楽になる。
今回の帰省で学んだのはこういうことだったんだ。
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戦闘力143日目
1011(+5)
その他+5
テニスを僕の人生でどう位置付けるか。
大学院進学を完全に肯定するか。
就職活動を選択するのを肯定するか。
いろんな分かれ目が日々あるわけですが、どんな選択であれ、評価するのは僕自身なんですな。当たり前のことなのに、ようやく浸透してきたよ。遅すぎぃ!