〈709.テーマパーク考〉
9月6日。
絶叫マシンでちゃんと絶叫ができない。絶叫ができるのは余裕がある時だけだ。声が出なくなる。力んで声が出なくなるし、声を出すっていうのは力を解放している時でもある。
ジェットコースターで叫べるのは上り坂の時だけ。実際に下り坂ではまったくもって声を出す余裕がない。なすがまま振り回されるだけ。あの抵抗できない遠心力と浮遊感がどうも苦手で。
。
しかし、どうもテーマパークは極に振り過ぎていると思う。絶叫マシンと幼児向け。その間はないのかしら。もちろん、たとえばバズライトイヤーの点数ゲームみたいな、誰でも楽しめるものはあるだろう。しかし、なんというかサイドメニューであって、メインになることはないし、デザートにもならない。よくてフライドポテトでバーガーになることはない。
つまり、テーマパークに求めているのは日常での再現不可能な体験だということなんだろう。
。
そりゃあまあそうか。高い金払って1日楽しませてもらおうっていうんなら日常でできることはいらないな。中途半端なゲームセンターは必要ない。日常の延長戦にあるから。
しかし、絶叫マシン以外にも日常で経験できないものをテーマパークにおけないものかしら。僕みたいなビビリが過ごせるような、ちょうどいいマシン。
そりゃあ博物館とか美術館とかそういうのは嬉しいんだけど、テーマパークみたいな受動的な楽しみが欲しい。受動的な楽しみでありながら、テレビとかそういうんじゃなくて、日常でない。
そうなると日常とは何か、非日常は何かを考えてみるといいだろう。
。
ちょうど僕の研究テーマが観光ということで、そのさらに大枠にはレクリエーションというものがある。レクリエーションの対義語には仕事とかそういうのが入る。仕事という概念が生まれた産業革命期に、レクリエーションとしての観光も生まれた。
つまり、日常と非日常は、仕事とレクリエーションと言い換えることもできる。
だが、すべてがこの二項対立じゃあないと思う。リモートワークが浸透してきた最近は特に。仕事と休暇の境界があいまいになってきたのだ。
。
そうなると、テーマパークに求める非日常も難しくなるような気がする。いまでこそ、絶叫マシンをどれだけ凄いものにできるのかが集客のポイントになっていると思うけど、そのうち頭打ちすると思う。相当な技術革新がないとなかなか難しいでしょう。
とんでもない非日常の演出を力技で実現してきたこれまでのテーマパークは、いったいどうしたら新しい世界を見ることができるんだろうか。
それこそ本格的にVRを発展させて身体感覚までVRにくっつけて異世界体験でもさせないと難しいだろうか。いや、それはゲームセンターでもできることか。
現実的な広大な土地を利用するからこそ意味があると思う。異世界に物理的に入ることこそ大事なテーマパークの要素だとも言えるもの。
さて、どうしたものだろうね。
。
戦闘力150日目
1044(+4)
その他+4
オチなし。とりあえず考える材料をばら撒いておしまい。機会があったらまた考えてみましょう。
休暇の過ごし方もふくめて。