〈724.もしもし講演会〉
9月21日。
時々話を聞く、母校で講演会をしてきたという話。時々とはいえ、そういう話をするのは活動的な人だったり、その道で極めてる/極めかけてる人なのでわずかだとは思う。
しっかし、すごいよな。いったいどんな話をするんだろう。
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ためしに自分だったら、とか考えてみたけども大した話ができない。研究もまだまだ知らないことばかりだし、他にやってることは全部まだ芽も出てない。唯一といったらアフリカで入院した経験くらいだ。だが、そんな話をしてどうする。
ためになる話をするっていうのは難しいぞ。
というのも、相手の立場に立ってなにが有益かを考えなくちゃいけないし、自己満足を最大限避けなくちゃいけない。講演会に限らず日常での会話でもこれは大事なことだ。なぜ大事かって言ったら、そりゃあおめぇ相手様のお時間を無駄にするのは大罪だかんな。友達がそう言ってたぞ。
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確かに思い返してみれば、わずかでも思い出せる誰かとの会話で、ポジティブなものは私を思っての話である。一方ネガティブなものは相手が自己満足で言った刃が心に刺さっているような場面だ。
あえて、刃を刺す方法もなきにしもあらずかもしれないけど、それは普通できないことですぜ。出血してそのまま殺してしまうこともある。手術みたいなものよ。素人はするべきじゃないし、プロでもミスはゼロじゃない。
相手の時間をいただいての無駄話ほど無益なものはない。ただ、その相手と非常に親密であれば話は別だろうけど。むしろ無駄話できるということが信頼の証でもあるわけで。ケースバイケースなんだろうな。難しい。
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さて、もし僕が母校の講演会に呼ばれたらどうしましょう。
嬉しいけどもお断りじゃないですかね。いまの僕じゃあ話せることないし、その人選がミスだと思わざるを得ない。なぜ僕なのか理由を聞いて、それに納得いったら行くかもしれないけども。
もし行くことになったら、研究とアフリカの話くらいしかないよ。でも代打はいくらでもいる話しかできないじゃないか。なので結局つまらない話だろう。
つまり、呼ばれることはないっていう話だ。無駄な妄想なのです。
呼ばれて話ができるくらい、冒険する人生にしたいな。いや、それはちょっとやだな。安定の幸せもあるんでしょう。
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戦闘力165日目
1132(+6)
勉強+3
その他+3
地元の後輩が関東大会で優勝していた。すげえよ。こういうやつこそ、いつか母校で呼ばれても堂々と話すことがある人生を送るんじゃないかしら。
関東優勝すげぇな。ぶるっちまうよ。