9月30日。
生きることの意味は究極的にはない。だから自省がテーマになった近代の文学者は自殺しがちだった。そういうツイートを見た。
なるほど、明治とかの文豪って言われる人で自死を選択している人をみてもこの人もかぁと珍しくないような気がしていたけども。自分の意味を問い詰めると、意味はないことにたどり着くらしい。
一人の時間が増えていくであろう今後はより一層それの歯止めが効かなくなるかもしれないとな。
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幸いなことに、僕はこれまで自殺してやろうとかリスカしようとか考えたことはなかった。というのも、ある意味ゲームのおかげでして、自分が仮に主人公であれば今後どこかでクライマックスがあるだろうと能天気に考えていたからであります。
いまも心のどこかでそう思い続けています。
ただ同時に確信としてあるのは、僕が生きる意味は思ってたよりもないだろうということでもあります。仮に夢を叶えたところで、人が幸せになるだけです。人を幸せにしてなんの意味があるのかわからないです。
世界がよりよくなるじゃないか!と言われても、よりよくする意味はわからないです。どうせいつかはみんな死ぬし、人類もいつか死に絶えるでしょう。何年後になるかわからないけど。こういうリズムになってくると、死んでもいいかぁとなるのもわからなくはないです。
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ただ、仮に今僕が自死を選択したら、カッコ悪いでしょう。主人公にはなれないし、物語のサブキャラにすらなれない。話の筋に関わるためには、やはりちゃんとした人間としてある程度結果を出さなあかんと思うのです。
それに、これまで育ててくれた親もそうだし、仲良くしてくれてる人たちにもマイナスの影響をおよぼす。それだけは避けなくちゃいけない。
どうせ死ぬなら誰も悲しませずにひっそり死ぬべきだ。誰かが悲しんでくれてしまうなら、まだ死ぬべき時じゃない。だからいまはまだ死んじゃダメなのよ。まだクライマックスじゃないから。
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何かしら意味を見出すか、意味を求めないっていうのが生きていくときには大事なんだろう。
〇〇のために生きるっていうのを無理やりにでも信じ込む。その呪いとでもいえる言霊が抜け掛けたらまた呪いをかけ直す。そうやって生きるのに執着する。
あるいは、もはや意味なんてないから考えない。とりあえず目の前のことをやってみる。目の前のことがなければ、やりたかったことをやってみる。生きることに意味なんてないんだから、やるだけやりゃあいいじゃない。
ネガティブっていうのは、ネガティブを超えるとポジティブだと解釈されるようになる。自分に意味がないなら、やりたいことをやっても別に誰も気にはかけない。だからやってしまえ。そういうことじゃないかしら。
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戦闘力174日目
1188(+6)
勉強+2
その他+4
内山選手も、西岡選手も、錦織選手も、負けてしまった。相手がみんな強かったね。悪いプレーじゃなかった。仕方ない。
観戦の何が悔しいって、自分自身はただ見守ることしかできないことだよ。ジョジョのスピードワゴンが言ってたみたいに。
世界レベルってすげえよ!敵わねぇや。