10月2日。
ちょっと最近忘れていることがあるのでメモしておこう。いつか見直した時に、このごろにはそんなもんだったのかと思えるように。例の感染症の話。
。
8月にめちゃめちゃ感染者が広まったけども、1日あたりの感染者数はいまは半分くらいに減っているらしい。とはいえ0ではないので油断ならないとは思う。
街に人は出てくるようになったし、GoToキャンペーンが東京も適応されるようになったとかである程度観光もできるようにはなってきたのだろうか。
しかし、マスクして外に出るのはもはや習慣にもなってきて、マスクをせずには街を歩けなくなった。白い目で見られるし、店に入ることはできない。感染症が新しい文化を作り出したのだ。
もちろん僕があまりにも世の中に無頓着なだけかもしらないけど、1日に感染症の名前を聞くことがなくなった日もある。どこかの大統領が感染したとかニュースはあるけども、前よりも慣れてきたというか、心配疲れしたというか。もはや当たり前になって考える意味がなくなったのかもしれないね。
しかし、この感染症で失ったものは取り返せないし、忘れちゃあいけない。
。
難しいんだ。その塩梅が。忘れてもいいことと忘れちゃいけないことの両方がある。本当に大切なことは忘れないかもしれない。でも忘れずにいることは慣れることにもなりうる。疲れてくる。だんだんなかったことにしたくなる。
事実としては残ろうとも、記憶から消えてしまったらその事実さえも残らない。
だから忘れるなと言い続けることも必要だけど、息抜きしなきゃ長続きしない。
だから、記念日がある。祈念日かもしれない。せめてその日は思い出して、考えなさいとする日。その日以外は忘れるとはいかないまでも、脳の隅っこに追いやっていい。でもその記念/祈念日は忘れない。
嫌なことに蓋をしていいのは、諦めた人だけだと思う。自分の人生も他人の人生も。でも他人の人生は他人のものなので、尊重しなくちゃいけない。つまり、諦めちゃいけない。
だから、蓋をして思い出さないと決めるのではなく、特定の日だけ思い出す日にする。
蓋をしても、そこにあり続けることはわかってるんだもの。蓋をするのが一番しんどいのよ。
。
そういうわけで、例の感染症についてある程度意識に取り戻さない日があってもいいだろう。でも完全になかったことにするわけではないので、機会を作ってちゃんと思い出すことが大事だと思う。
習慣的にマスクをするんじゃなくて、なんでマスクをするのかを思い出す、みたいに。
考え続けることが大事なんだと僕は信じます。
。
戦闘力176日目
1205(+5)
勉強+3
その他+2
考えても答えはないんですけどね。