10月3日。
感情は難しい。
感情のおかげで色々素晴らしいことがある一方で、感情のせいでとにかく難しいことがたくさんある。整理できたと思ってた感情が数年越しに吹き出すこともあるし、もやもやしているのが一瞬にして吹き飛ぶこともある。
理性で制御できないのは難しいよ。
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どんなニュースでも、数日経ってしまえば消費される。自殺のニュースも紛争勃発のニュースも、誰かの人生のトリガーになってるかもしれない。でもすぐに情報の一つとして大半の人からは抜けていく。数年もしてしまえば、そんなことあったかしらと首を傾げられてしまう。
でもそれを大切に思っている人からは永遠に抜け落ちることはない。そういう場面になったら悲しみに暮れるだろう。
いや、いまのは正しくないか。忘れられることは正直どうでもいいかもしれない。本当の無になれたらきっと楽になれるだろうし。
誰がどう見るか思うかとか、そういうことはそれほど大事じゃなくて、その事実が永遠に、昇華されたと思ってもしこりになる。それがつらさだろう。つらさであり、それが記憶するってことの一部だ。
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しこりとして残ってくれるからこそ嬉しいこともある。
死んだ親友との記憶も、一緒に訳もわからず自転車を乗り回した記憶だったり、レジャーシートの上で一緒にゴロゴロしたり、僕の後頭部から血が出てきて家に謝罪に来られたり。
しこりとして残ってくれたからこそ、昇華できなかった、する必要がなかったからこそ、いまでもくだらねぇなぁと笑うことができる。
もちろん、笑えるようになったのはつい最近のことだけども。それでも、すべてを悲しみの記憶っていうラベルを貼らずに済んだのは、忘却しないおかげ。
でもいつかは薄らいでいくのだろう。僕が死ねば、その記憶も一緒に消える。
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もし、目の前に悲しみが生まれてしまったら思い切り泣くのがいい。泣いて泣いて、何年も泣いて泣き続けて。涙が出なくなっても泣き続けて、それでも泣いて。
ふと泣いてる自分がおかしくなって、泣きながら笑うようになる。そしたらその記憶を背負ってようやく立ち上がることができる。
泣いて泣いて、泣き続けている時に中途半端に割り切らない方がいい。割り切れるわけないんだから。それこそあとで後悔する。
もう神様も呆れるくらいに泣いて、そしたら立ち上がればいい。
焦る必要なんてないし、亡くなった人がどう思うかとか、誰がどう思うかとか関係ねぇから。だって死んだ人はそう思ってるわけないし、そもそも思考することができないんだもの。まわりのひとがどう思うとか関係ない。その人とあなたとの関係はあなたしか知らないのだから。
そういう時は、自分がどうしたいか、それだけ考えればいいと思いますよ。
自分に言い聞かせているんですがね。今夜もきっと僕は泣きますよ。笑いながら泣きますよ。悲しいんだもの。悔しいんだもの。楽しかったんだもの。でもやっぱり悲しいんだよ。
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戦闘力176日目
1211(+6)
勉強+4
その他+2
誰かが消費するなにかでも、誰かにとっては永遠の宝にもなる。だからといって消費するのが悪とはいうまいよ。そんなのどうでもいい。大事に思う人が大事にし続ければそれでいい。
生きるってそういうことなんじゃないかと思い始めておるのです。