ホウチガブログ

~方向性の違いでブログ始めることになりました。~

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〈738.旅行〉

10月5日。

 

懐かしい思い出のある場所にいくと、その当時の記憶が思い出されるのはわかる。

しかし、その場所には関係ないけど似ているおかげで忘れてた記憶を思い出すのはなかなか不思議だ。お線香のかおりととお盆に飾るお団子の味を近いタイミングで感じると実家近くのお寺を思い出す。小学生の時にお団子を母と作ってお墓に供えた記憶。お寺の住職に駄菓子をもらった記憶。自分史の中じゃあ古いもの。

それが全然関係ない京都で出てくるのは不思議。

 

 

記憶っていうのは感情とか感覚に近いように思う。理性で把握できる記憶は衝撃のでかいものか最近のものに限られる。唐突に、なんの前触れもなく、ちょっとしたきっかけで爆発的に芋づる式にぼこぼこと思い出される。

そのきっかけがいつ、どんな時に来るのかはわからない。し、きっかけがきてても心とか頭とか、そういう思い出すモードがなってなければ思い出すことはない。

だからこそ、思い出す触媒としてこういう文章とかアルバムとか物とかが大切に扱われる。なくしちゃうと、記憶を失うことにもなりかねない。

そういうわけで、僕はものが捨てられない。大切ななにか、今は意味を持たない物でもいつか突拍子もなく意味を持ち始めるもの。そういう可能性を火に配るほどキマってるわけじゃない。

 

 

それを、ものに見えるようにしたら、妖怪として絵にされるんだと思う。モノに宿る魂、それ自体が意味を持ってなくても、意思がなくても、まわりがいろんな意味を持たせたら、そいつ自身が意味を持つようになる。付喪神ってもともとそうやって考えられたんじゃないかって想像してみたりできる。思い出が放棄された恨みをもって、人を祟るようになるんじゃないか。とか。

 

それくらい、ものって人間に対して影響力を持つモノだ。アクターネットワーク理論っていうのはそういう人も含めて社会全ての存在を考えようってものだと思うし。

 

観光してるとそういういろんなことが思い浮かんでくる。ある程度勉強したら外に出て、そこでまた勉強して、を繰り返すのが楽しい勉強なのかもしれないとようやく気づくのです。

書を捨て街へ出よ。なんて言葉もあるようだし。その前にちゃんと書を持ってないと捨てられないけど。

 

 

戦闘力178日目

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まとまった時間を取るのがもったいない日っていうのもあるものよ。