〈743.夢見〉
10月10日。
ひさしぶりに悪夢を見た。
冷静に思い出すと、それほど悪夢ではない。なのに見ている時は嫌で嫌で仕方ない。いったいなんなんだろう。
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夢はその日の出来事の記憶がヒッチャカメッチャカに組み合わされたものだとか。確かに悪夢に限らず夢を見る時は、その日あった印象的な出来事がたくさんあった時に、それが組み合わされて出来上がることが多い気がする。
しかし、良い夢を見るときもあれば悪い夢を見るときもある。そこになにか決まりごとがあるわけではない。起きてる間に不安なこととか嫌なこととかがあったら悪夢、というわけでもないし。
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中学生くらいのころにクラスで流行った話があった。夢の中で空を飛ぶのを意図的にできる、という話だ。
夢の中で、これは夢であると自覚でき、ほっぺたをつねる。そして本当に痛くなくて、夢だと認識できた瞬間から夢を操作できるようになるとな。
空を飛ぶこともできるし、冒険することもできる。とにかくすべてが思い通りになるとな。
この話を聞いてから、わくわくして布団に入るんだけども、コントロールなんてできた試しがない。映画みたいにどんどん進んでしまって自分の意図が入る隙がない。
ただの迷信だったんだろうか。しかし、全てが思い通りというのはロマンだ。一度くらい夢を操作してみたい。
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同時に寝起きどんな気持ちなんだろう。現実じゃないことを認識したうえで思い通りに操作する。起きた瞬間虚しさに襲われるんじゃないか。
あいや、ゲームとか小説とかと同じだろうか。あれは現実じゃないと分かった上でもそういったものとして楽しめる。現実と仮想を別物と認識した上で楽しめる、そしてそこには言及しないのが掟である。
ディズニーランドで楽しんでるお客さんに、明日は仕事ですね、なんて言っちゃあネズミにぶん殴られるでしょう。
そしたら、夢だってそうかもしれない。ある程度コントロールした夢も、現実とは違うのを認識している。
だから起きたら、ディズニーの帰り道みたいな寂しさはあるけど、ある程度割り切ることができるのかもしれない。
というかそれがエンターテイメントだしな。
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しかしながら、割り切りつつも現実に影響を及ぼすのもエンターテイメントだ。
良くも悪くも、割り切っても体も脳も同じもの。
そうなると、エンターテイメントをつくるなら、良いものを出したいものよね。
練習として夢見を頑張ろう。
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戦闘力183日目
1236(+6)
勉強+3
その他+3
夢見を良くするためにも、現実でたくさん刺激を受けることなんでしょうな。