10月28日。
監督と選手は全く別の役職。
この事実に間違いはない。
だからといって、はいそうですねと諦めるのも違うんでしょうな。
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監督は選手ではない分、広く試合を見ることができる。鳥の目というやつだ。一方で選手は試合を進める身でしか感じられない流れや雰囲気、息遣いみたいなところまで感じながら展開する。虫の目というやつだ。
鳥と虫は全く別の生物。これと同じくらい選手と監督は別物だろう。言わずもがな。
さらにそこにもう一つ、アクターを追加する。人間だ。
人間は、鳥のように空から見ることもできないし、虫のように臨場感あふれる世界を歩むこともできない。しかし、この中途半端だからこそ二つのアクターをもとに考えることができる。
そして考えた末に、作戦を練った上で実行ができる。
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それが難しいから、監督と選手は別物だと考えた方がいい。言葉にするのも難しければ、目の前で何が起きているのかを把握するのも難しい。
だが、人間だからこそ鳥にも虫にもなれるんだと信じている。
これは単純に運動の話ではなく、作品に対してもそうだ。
一つの作品を生み出すのに、実際に筆を取る人や役を演ずる人と、持ってきた原稿を修正したりメガホンを持つ人は違う。
じゃあ人間ってなんだ。
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この場面における人間は2種類に分けられると思う。監督兼役者や執筆者兼編集者、そして観客。
前者はスーパーマンだ。
後者は社会を成り立たせるには必要だけど、作品には不必要だ。
感想を言ったり、分析してみたりするのは誰でもできる。誰でもできるってことは自分がやる必要はない。
結局何が言いたいかというと、なぜ〇〇は売れるのかという話は、結局観客に過ぎないので、大して意味をなさないということ。
悲しいかな、僕はまだ作品という作品を認められたことはないし、そもそもの作り出した数が少なすぎる。
烏合の衆に過ぎない。
しかし、分析を元にして自分で作り出すときの参考には間違いなくなる。
だからといって、監督が選手になれるわけじゃない。戦略を立てたからといって、実際の戦場で活躍できるわけじゃない。
そんなの小学生が考える最強の〇〇に等しい。
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悔しいんだな。
まだ何もできてなくて、ただ情報の受け手に甘んじている自分が悔しい。
そこから一歩抜け出すためにも、試合数こなしながら、そこで戦略を立てることだと思う。実際、試合慣れしてない人は試合には勝てないから。
試合に出よう。
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戦闘力201日目
1356(+5)
勉強+2
運動+2
その他+1
そもそも戦略を立てるための情報不足というのはあるけども、それも試合に出て負けながら知るものでもある。
試合で声を出してガッツをする夢を見た。試合に出ないとこの感覚は分からないままなのよ。