ホウチガブログ

~方向性の違いでブログ始めることになりました。~

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〈774.プロ選手はつくれるのか〉

11月10日。

 

地元の子がテニスの全国大会で優勝した。

優勝したおかげで、海外の大会の予選出場権を得たらしい。とんでもないやっちゃあな。

全国大会というだけでレベルが高いのは当然なんだけども、出場者が海外経験豊富な人たちによる全国大会である。

つまり、一般的な全国大会を出場せずに世界を飛び回るような人たちが出場する全国大会だと思われる。実際どうだかわからないけど。

少なくとも、地元のその人は前々からアジア圏の試合には出まくっていた。

すげぇ世界だ。

 

 

全盛期の僕が試合をさせてもらっても、1ポイント取れるか取れないかという感じだろうな。

一応僕も県大会だとトロフィーをもらったりはしたんだけども、そんな海の外の世界なんか知らずに引退したんだもの。まったくもって自慢にならないよ。

それくらい、その人はすげぇんだ。

 

どうやったらそんな世界に行けるのだろうか。わからないや。

 

 

自分はおそらく100%でテニスをしていた。おそらく、というのは自主性に乏しいまま引退したのでそこは疑問の余地はあるけども。

その自主性がなんなのか。勝ちたくて仕方ないというメンタルなのだろうか。論理的に自分の弱点を見据える能力だろうか。

勝者の条件、みたいなのがわかりゃあいいんだけど、そんなの全部おれなんかより上に決まったらぁ。

勝ちに貪欲だろうし、論理的に戦略を練ることができるだろうし、そういうのががっちり歯車のようにまわってどんどん改善されていくんだ。

 

そこんところ僕は弱かったと思う。

 

 

じゃあ、どうやったらそういう歯車が子供の頃、中学生とか高校生で身につくのかしら。おそらくそういう教育書っていくらでもあるけど、全部結果論だと思う。書いてある通りにやったところで、プロテニスプレイヤーが育つわけじゃあない。

それはまさに、鬼滅の刃はなぜ人気作なのかを分析するのと同じだ。無駄じゃないし、次の作品作りの勉強のために分析はしなくちゃいけないけど、逆にそれをもって来年絶対受ける作品を作れるわけじゃあない。

 

結局運ということだろうか。

 

 

それはあまりに嘆かわしい。運次第で地獄のような人生を送ることにもなりかねない。それは避けなきゃいけない。

しかし、実際問題そうなんだと思う。

 

光と闇は表裏一体なわけでして、プロになったところで薬物に走ってしまえば一気に崩れ落ちる。すべては運次第ということか。

 

運という言葉を使うのは、思考を停止した愚か者だという話を聞いたことがある。ひたすらに数字を追って、問題を睨み続け、その末に結果を無理にでも引っ張り出すのが選ばれる人だとか。

 

もちろん、そんなメンタルが生まれてから死ぬまで続くわけがない。ただ、それができた人がいわゆる英雄になるんだと思う。

しかし英雄っていうのは、バケモノと表裏一体だと思う。時代が異なれば、偉人もただのバカ者である。

 

つまり、生きたいように生きるしかないってことかしら。

 

 

戦闘力214日目

1431(+8)

勉強+3

その他+5

 

なんでこんな話をするか。僕がもし、生まれたばかりの僕をいまから育てることができるとしたら、「予定通り」の秀才ができるだろうか。

分析し尽くせばテニスのプロにも、東大卒のクイズ王にもできるだろうか。

そんなことない。

そんなことないんだけど、考えられずにはいられない。いつかの自分の息子娘かもしれないし、全く顔もわからないだれかかもしれないけど、生きるヒントを残したいと思ってしまうからだろう。

そんなかっこいいことだろうか。

 

それにしても本当にすごいと思う。

5年後10年後、彼が世界ツアーで活躍する姿を生で観たいものよ。