11月12日。
長距離移動するときに、高校生の時に好んで聞いていたゲーム音楽を聴いていた。当時の大学入試前、自習室での緊張感を思い出す。そして、当時描いていた大学生という理想があまりにも現実離れしていたことを思い出す。大学生なんてまだまだ勉強足らずのヒヨッ子だった。卒業して大学院の今でさえヒヨッ子なんだもの。
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しかし、人生って果てしないな。
高校当時は3年生になれば中学生のころをバカにしていたし、大学生になれば高校時代をアホだったと見返し、大学院生も大学生をまだまだ世間知らずだと思っている。
となると社会人になったとき、いまの大学院生の僕を井戸の中の蛙だと思うんだろう。
でも、社会人1年目もきっと3年4年経った時にまだまだ青かったと思うだろう。10年経てば3年4年も大学生と大差ないと思うかもしれない。
なんともまぁ、まだまだ歩みが足りてないよ。
しかし、それが成長であるだろうから否定はしないけども。
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果たしてこの考え方は正しいのか。
当時は当時の精一杯のことをやっている。当然、大学生の悩みと高校生の悩みは違う。次元や世界、人間が違うくらい全く別の悩みである。
だから、それを現在からアホだったと断ずるのはちょっと見当違いというか、過去を現在よりも劣ったものだとしているというか。だから、必ずしもいまの僕が正しい道を歩んでいるとも限らないと思う。
例えば、高校生の時みたいに闘志溢れる行動をいまの僕はできない。そこに優劣をつけるとしたら、間違いなく高校当時のほうが優性だろう。
一方で、そういう闘志を激らせて試合に臨めたのは、ほかに人生の意味を見出してないからだった、というようにマウントを取ることも不可能ではない。
つまり、いまの観点からみたら当然過去の方が劣っているだろうし、未来も劣っている。現在が最高評価されるに決まっている。
自分のことでもそういうバイアスのかかった評価しかできないんだもの、他人の評価はあんまりアテにならない気がしてくる。
もちろん、社会で生きる上では自分がどう思うかはほとんど意味をなさないから、結局他人の評価を自分の情報にするしかないんだけども。
自分は青かった、と評価するうちはまだまだ青いんだと思い始めました。
当時は当時の精一杯だったと肯定できた時、熟したやつになれる、ってことかな。
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戦闘力216日目
1443(+7)
勉強+4
その他+3
いまのあたしはまだまだできないなぁ。過去の自分の愚かな姿を肯定できないよ。つまり、今もまだまだ青いヤツってことだろう。