ホウチガブログ

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〈782.思い出し泣き〉

11月18日。

 

さて困った。

今日もたいした感動もなく1日が終わった。いわゆるルーティンでおわり。しかし昨日の今日で尺つなぎというのもつまらない。どうしたものか。最後の手段、ネタ帳からひとつ持ってこよう。

ネタ帳はいつか書こうと思うけど、わざわざ書くのはめんどくさい考えの種を押し込んだところだ。今日は、ビアンカフローラ論争でもしてやろうかと思ったけど、流石にあれなので思い出し泣きについて。

 

 

思い出し笑いは時々してしまう。たまたまツボにハマって笑い転げた瞬間を、後になってポッと突然思い出して吹き出してしまう。吹き出さずともニマニマと押し殺しきれなくなる。

これは誰しもわかるだろう。それではなく、思い出し泣きについてが今日の話題だ。

 

これは笑いとは違って、相当にコンディションが整ってないとできないと思う。泣くためのメンタルを用意するのは難しいんだぞ。

だが、夜中とか夕暮れ時のしんみりした時間に、突然思い出すと涙が出てきてしまう。

おそらくその感情は悔しいからはじまるんじゃなかろうか。

 

 

涙の種類はたくさんある。嬉し涙もあるし、悲し涙もある。悔し涙もあれば、怒りの涙もあるだろう。

しかし思い出し泣きとなると、なかなか嬉し涙は思いつかないぞ。当時最高の喜びだったかもしれないけど、時が経てばその重要性は薄まってしまうし、前後関係が変わってくるとそれが持つ意味も変わってくる。単純に嬉しかった出来事がそうでもなくなってきたりすることも稀に。

となると、やはりネガティブな感情の涙になるんじゃないかと思う。悲しい出来事も嬉しい出来事と同様、時間と共に薄まってくるし、新しい文脈が登場することで解釈が変わってくる。すると当然ネガティブな出来事もそれほど重くなくなってくる。

しかしながら、喜び以上にマイナス解釈がされやすかったり、そもそも触れないようにしているから新解釈がなされず凍結保存されちゃうこともある。だって基本的には嬉しいことより思い出したくないもの。嬉しいことは何度も反復してしまって嬉しいことに慣れてしまうけど、悲しいことはわざわざ反復するわけないでな。

 

そういう意味で、思い出し泣きの涙はネガティブな涙、抱いた感情そのまま冷凍保存の涙だと思う。

 

 

最近思い出し泣きしていないので、そういう時のリアルな感情が湧いてこない。思い出し泣きしないで済んでいるのは、悲しみのメンタリティが用意されずに済んでいるからかもしれない。ハッピーボーイとして生活ができている。なんともありがたいことですな。

ただ、涙活といわれるやつもあるように時々泣いて毒素を抜いた方がよろしかろう。となると、映画でも見て外部要因から無理矢理泣くのもいいだろう。だが、それはあんまり毒素が抜けないような気がする。

毒素の元になっているものは確実に自分の中にある。自分の中から溢れる涙が最大量の毒素を含んでいると考えてみる。となると、思い出し泣きっていうのは、直に毒素の元から出てくる涙だから健康にはいい気がするぞ。

 

悔しい思いをもう一度。すると涙活できるし、解釈しなおすことにもなるからその深刻さも緩まるはず。ということで思い出し涙活がええんとちゃいまんのん。

 

 

戦闘力222日目

1470(+3)

勉強+1

その他+2

 

それにしてもモチベーションがなんとも頼りない。困った困った。絶世の美女が応援してくれたらやる気出るだろうに。

しかし適当な応援じゃダメだぞ。なぜそこで応援してくれるのか理由が欲しい。むしろそこが大事なモチベーションになるのだ。表面的な理由で感情は動かないのだよ。