ホウチガブログ

~方向性の違いでブログ始めることになりました。~

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〈807.経験を積むこと〉

12月13日。

 

いやね、やたら気分がいいのよ。ずっとスッキリしない論文の、その原因がようやくわかったからなのよ。そしてなにより誰かの指摘ではなく自分自身で分かったことが嬉しいのよ。

自分の文章を客観的に見れた時ってのは嬉しいね。

 

 

どんな文章であれ、書いている時は大抵モヤモヤする。この文章もおそらくそうだろう。書いている時はとにかく思いつくから、思いつくままに文字に残す。そして後で見返した時にもやもやする。それがアタシの草案の書き方である。

ところが問題なのが、自分で何がもやもやしてるのかわからないことが問題。良い文章ではないことは察することができるけど、勘に頼っているだけなので具体的な判断はできない。

 

 

昔、作家さんの講演会で聞いたことがある話。良い文章を書きたいなら良い文章とたくさん出会うことだ。

良い目を持たない人は良い絵を描けない。良い耳を持たない人は良い音楽を奏でることはできない。

良い目、良い耳を持つためにはとにかく良いものがどういうものかを肌で理解できるくらいに出会うことだという話。

 

小さい頃、姉と僕はピアノを習っていてその影響で母親はいろんなピアニストのCDを聴いていた。それが意図的かどうかは置いといて、それまで音楽に触れてこなかった母にしてはかなり耳が肥えていたと思う。CDを聴いて、〇〇さんは元気だとか〇〇さんは静かだとか。おんなじ曲なんだからそんなこたないだろうと思っていたけども、微妙な違いがわかるくらい鼻が効いていたのだろう。

 

 

さて僕の論文に戻りまして、ずっとわからないもやもやがあった。それを何度も読み返してみると、筆者の意図(僕自身の意図)がごちゃごちゃしていたのがわかった。

データの分析をしていると思ったら考察が始まって、だと思ったらまたデータの分析を始めて。こうやって文字起こしをしたらそりゃあわかるんだけども、試しに文字を情報としてそのまま受け取ってみなさい。抽象化するのって別の頭を使うってことがよくわかったのよ。

 

じゃあなんでこのタイミングでそれに気づけたのか。やっぱり就活してることがでかいのよ。就活していると、ホウチガもそうなんだけど、他人に読まれることを意識して書くことになる。するとさっき自分が書いたのに、頭真っ白にして読むっていう練習になる。そんでもって相手がこちらに渡してくる問いが一体どんな意図があって渡してきているのかをかなり研ぎ澄ませて推測する必要がある。

 

つまり論文と就活の双方が共鳴しあって、文字の情報の先にある相手の顔そして脳の中を読み取る練習になっていだというわけだ。

 

 

自分で書いていてなに言ってるかわかんねーと思うってことは、この文章は精錬されてない文章だということ。

さて、これから僕はなにをしたいか。とにかく良い文章にたくさん出逢いたいと思っているわけです。将来人を楽しませることを生業にしようというならなおさら、人を楽しませている文章に出逢わなくちゃいけない。

とにかくたくさん出会うことなんだね。経験ってのはそういうことだったみたいだ。

 

 

戦闘力247日目

1586(+6)

勉強+4

その他+2

 

今更ながらHUNTER×HUNTERを読んでまして、念能力ってのがようやくわかってきたのです。そしてやっぱり修行なんだな武器にするためには。

ジャンプ漫画は修行ありきだと思うけど、結局どんなことでも結果出したいなら修行が必要だってことですな。

へい。がんばりやす。