12月22日。
スポットライトを浴びた経験があるかい。あれは本当に不思議なもんだ。
スポットライトの先には僕を見ている人たちがいるはずなのに。まるでなんにもないみたい。世界は自分だけで、自分のためだけにやっているみたいな。そんな感覚になった時、とんでもなく気持ちがいいんだ。
僕はピアノを弾いていた。小学校の6年間しかやってなかったけど、あれは忘れられない感覚だった。あったかくて、気持ちがいい。もう暑いくらいなのに。スポットライトが明るすぎて何にも見えない。光源の二階のところから光が来ているのがわかるだけ。
そのあと椅子に座って弾く。最後の曲、ショパンのノクターン。6年間最後の曲。そして最後のスポットライト。コンクールじゃなくて、ただの発表会。きっと誰の記憶にも残らない。最後の一音を弾いた。おわり。最後の音。
立ち上がって、決められた通りの場所でお辞儀をする。暖かくて、眩しくて、気持ちがいい。拍手が遠くに聞こえる。僕は僕のためだけにノクターンを弾いた。
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テニスでも英語弁論大会でも、人前に立つ経験は幸いにも少なくなかったと思う。それでも、暗闇の中から僕だけを照らすための光はとんでもなく気持ちよかった。誰のためでもなく自分のために。
社会に生きるようになると、自分のためっていうのは悪いことだと学んだ。だからこそそんな感覚は誰にも言わなかったし、言うべきものでもないと思っていた。
でも、自分のための自分の曲を自分のための会場で弾いたような気分。あれは忘れ難い。忘れたくないし、たぶん死ぬまで忘れられない。
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なんでこんなこと言うのか。
読んでいる漫画、左利きのエレンでの言葉がそんな感じがしたから。売れるために描く絵は審美眼のない人間には良いと言われる。審美眼がある人間が見るとクソ喰らえだと言われる。
自分が描きたいから、売れるためではなく、自分のために描く。それができる人間同士だけが繋がる。それができるのが天才。
僕が天才だったわけではないし、そんな世界に入れるわけがない。でも、登場人物がいう。
子供の絵には勝てない。
その純朴さっていうのは捨てちゃうともったいないものかもしれない。自分が描きたいから描く。弾きたいから弾く。社会で生きていくためには邪魔なものだけど、どこかに捨てちゃいけないエゴっていうのがあるんだと思う。
それは決してわがままではなく。思うがまま、あるがまま、とかそっちの意味だろう。
またスポットライトを浴びて、ピアノを弾いてみたいな。
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戦闘力256日目
1630(+4)
勉強+1
その他+3
そういうわがままを解放する瞬間ってのは大事にしたいと思う。けどわがまま過ぎたら嫌われるでな、適度に抑えつつだでな。