12月24日。
ようやくここに来て研究に進展があった。本来ならば一年前に出会っておくべき論文。仕方ない、これもまた出会いなのだ。サンタさんからのプレゼントということにしておこう。
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結局これまでの研究はやっているやっているといいつつも、やり方が若干的外れだったのかもしれない。それも仕方ない、学部の時と全く違う研究をしているわけで。そうなると初心者でしかないのだ。悲しいかな、身近な人でそういう相談ができる人もそれほどいるわけではなかった。ここまで一人で登ってきたとしてはなかなかがんばったんじゃないの。的外れだけども。
そしてここからが今後の僕の人生のためのメモ書き。初心者なのは仕方ない。どうしようもない。なにごとにも挑戦しようとしたら全員等しく初心者なのだ。
ただ、いかにしてお作法を身につけるか。これは努力次第だろう。僕はいまになってそのお作法を身につけたような気がする。結局のところ主観的な問題意識を持って先人達の努力の結果を見ることができたかどうか。これが一番大事なところだと思う。
もちろん小手先の技術っていうのはあるわけだし、それが最終的な質の向上の助けになるのは間違いない。ただそれは経験者の助けになる話であって、部内試合で一回勝つことを目標にしている学生に対してタイブレークの勝ち方を伝えても仕方ない。まだドリブルも満足にできないチビに対してダンクシュートのコツを伝えても仕方ない。
いかに本質を見抜くことができるか。そのためにはそのことについてのお作法を学ぶことが大事なんだ。
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じゃあ本質とかお作法とか一体なんだ。
本質っていうのは、それ以上掘り下げることが不可能なことだと思う。定義づけに近いかもしれない。ゲームの本質と言われるものは、おそらくゲームシステムとゲーム性にある。障害とそれを突破するためのルールがシステム、具体的に突破する際の道具がゲーム性、そんな感じ。
この先掘るとしたらこれ以上深くなることはなく、おそらく並列関係のなにかは出てくる。縦ではなく横に掘ることしかできなくなったらそれが本質的なものだと思う。
お作法ってのは、思考方法のことだと思っている。こういう現象が起きた時はこうやって対処する、みたいな。上級者が無意識下に選択できるやつ。体に染み付いて前提条件になっているもの。
それがどうやって身につくか。上級者には聞かない方がいい。だってそういう人たちって、もう意識してないもの。言語化しない領域にいるもの。それよりも、とにかく数多く先輩の生み出してきたものに当たること。これだろうな。
そうやって自分の中でお作法っぽいものを確立させる。
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未来の僕よ。一年後あるいは二年後、同じ壁にぶつかっているだろう。
だからこそ、研究を通してサンタさんがくれたことを思い出してくれ。
本質に向かうこと、お作法を身につけること。これのためにはとにかく多く作品を見て、そして考えることだぞ。それをしない限り僕に未来はない。
悲しい時に届いておくれ。
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戦闘力258日目
1642(+7)
勉強+5
その他+2
サンタさんのプレゼントとしては形ないものってのはつらいな。やっぱり電飾に囲まれてケーキとチキンを食べたかったナァ。