〈827.犬のこと〉
1月2日。
実家にいる犬の話。
柴犬と黒の雑種がいる。二匹はそれほど仲がいいというわけではないけども、特別悪いわけでもない。食欲が異常な黒のほうに柴犬のほうが圧倒されて、柴犬が飯を奪われるくらい。あとはお互い不干渉って感じだ。
そんな二匹も今年で13,14歳くらいかな。もうおじいちゃんとおばあちゃんになってしまった。もともと丸々としていた黒い方も標準体重くらいになって、柴犬の方はもうまっすぐ歩くことができなくなっている。悲しいかな、そろそろ覚悟を決めた方がいいのかもしれない。
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柴犬は僕が小学生の時にきた。3年生くらいだったかな。家にドロボーが入ったことから飼い始めたから番犬として仕事をしてもらっていた。知らない人がくるとよく吠えてくれる良いオスだった。それがもうおじいちゃんで目もよく見えてないだろうし、走ることはほとんどない。
やってきた赤ちゃんの頃から知ってて、それが老いてやがて天に召されるだろう。命の短さを痛感する。こいつは果たして幸せだったろうか。もっと広い庭で走り回っていたかっただろうか。室内犬としてぬくぬくと生活してもらった方が良かっただろうか。
本当のところは本人にしかわからないから僕らが何を考えたところでなんにもならないけど、考えてしまうことがふとあるわけです。
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おそらく長くても2-3年だろう。僕の心の中にはずっと居続けるだろうし、名前を忘れることもないだろう。ただ、こいつがいた記憶はたぶん家族くらいしか覚えていないんだろうな。
勝手に決めつけるなと柴に怒られるかもしれないけど、それでいいんだろうな。有名かどうかとかそういうのではなく、こいつがこいつなりの人生を納得して生きてこれたかどうかなんだろうな。
人間はそれぞれの役割を与えられて、短い舞台演技を終えたら速やかに舞台からはけていく。そういうもんだと誰かが言っていた。その役割はもしかしたら主人公的な大役かもしれないし、背景にある木かもしれない。
価値の上下はあるかもしれない。でも、その価値っていうのは誰かが勝手に決めるものでもあり、自分で決めることもできる。
我が家の二匹の犬は番犬という役割を負って、今も現役で守護神として守ってくれている。こいつらがいてくれるから、何も考えずに家を空けて家族は仕事に行ける。話し相手になってくれたり、もこもこの体を楽しませてくれたりもする。
そしてこいつらは自分の役について文句を言うことがない。飯がないとか散歩に連れて行けとかそういう主張はするけども脱走することは今はない。
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なにかを得るために足掻くこともひとつだし、今あるものを大切にすることもまたひとつである。そこにある価値ってのは誰かにとっては愚かなものかもしれないけど、絶対評価はできない相対的なものである。
そもそも価値とかっていう概念は勝手に人間が作り出した虚構に過ぎないとも考えられる。
自分の評価で自分を見定めて、相手の評価で相手を見定める。それをできるように今年は心がけたいものですな。
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戦闘力267日目
1675(+4)
運動+2
その他+2
犬が何考えてるのかよくわからない。動物っていうのはそういうもんなんだろうな。人間も言葉があるから通じてるような気がしてるけど、実際はどこまで通じているかは怪しい。
だからこそ、わかんないけどどこかでちょっと繋がりがあるのを感じるととんでもなく嬉しくなる。
ありがとう我が家の守衛さん。相変わらずこっちを見つめるだけなんだけども。