〈829.たいあたりする意味〉
1月4日。
昔、親の言うことを素直に聞かずにやってみて、親の言う通りの間違いを犯したことが一度や二度じゃなくてあった。そのたびに「言う通りにしときゃあこんな思いしなかったのに」なんて言われたわけだ。これは思い出しても仕方ないだろうと思う。
結局頭で理解していても、体験してみなきゃわかんねぇなって話。
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就職活動をしている友人はよく「お祈りメール」のことを話していた。いわゆる落選メールといえばいいのだろうか、内定は無理ですよーっていう通知メールのことだ。こういうメールの最後には大抵、これからのご活躍をお祈りしております、なんて書かれているからお祈りメールなんて言われてたりする。
それを2年前3年前から聞かされていたから、まあそういう会社とは合わなかっただけだから気にしない方がよかろう、そう思って適当に流していた。
しかし、インターンやら説明会やらでそれに似たメールを受け取る身分になった。するとお祈りメールを受け取るときの気持ちがわかってきた。
そういうメールでは大抵なんで落選したのか理由は書かれないし、聞かないでくださいねっていう文言が書かれてたりする。つまり、好きです付き合ってください!に対して、いやちょっと無理です、と言われるような気分だ。
ぼんやりとこれが悪かったのかアレが悪かったのかと考えるけども、答えは得られない。自分で考えるということだ。
しかもそういう会社には再チャレンジが大抵の場合できない。ちょっと無理、じゃなくてお前は私の前から消えてくれ、そう言われているような気分。
僕はまだ受け取った数が多くないからいいけども、試しに10件連続でそういうメールを受け取ってみろよ、自己否定されているような気分になってくるだろう。お前は必要なし。キツイぜぇ。
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しかしながらそういう身分を味わったからこそ、語るときのリアリティが出てくる。絶望や希望は体験しないと不可能だ。よく漫画家とか小説家は実体験したことしか書けないとか言われるけども、それに似た体験があるってことだと思う。
そうじゃなくて想像での産物に過ぎなかったら、薄っぺらい話にすぎない。心が激しく悶える経験があって初めて動かず力が出てくる。
そういった意味では、事前に予測された上でそろそろと歩くのはもったいない。死なない程度に起き上がれる程度に傷つき、怪我した方が人としての器が大きく頑丈になるってもんよ。
目先の失敗ではなく、人間としての失敗を恐れるべきなんだろう。
人は体験しなくても知ることができる。ただ、知っていることとできることは違うわけでして。頭でっかちにならないようにっていうのはこういう意味だったんだね。
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戦闘力269日目
1683(+5)
勉強+2
その他+3
今年はたいあたりで勉強していこう。がんばれ。