1月7日。
鬼滅の刃の最終巻を読み終えた。例に漏れず、僕もえらく感動した。映画で扱っている無限列車編以降が特に気に入っておりまして、最終巻のあの感じはもうとんでもなく好きでした。
ということで今日は鬼滅の話をしましょう。ネタバレとかあんまりないけど、気にする人は気にしてください。
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物語のテーマがなにより気に入っておりまして。極端に言えば、命を粗末にしているのが醍醐味なのです。
同時期の人気作である約束のネバーランドが厳しい環境の中でも全ての命を救い信じることがテーマだったのに対し、鬼滅の刃は厳しい環境の中でどこかの誰かの或いは未来のために自分の命を犠牲にするというものだと僕は解釈しました。
どちらも優劣ないくらい好きな作品ですが、丁寧に扱われているキャラクターが散っていく鬼滅はなんだか慣れてなくてとんでもなく面白く感じる次第です。そして散るからこそに美しい。そういった意味でジャンプシステムでありながら、ジャンプっぽくない良い話だと思っています。
こういうのを文学部であれば、古典とか文豪の話と合わせて分析することができるんでしょうな。
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そんなテーマの中心に「どう生きるか」があるのが鬼滅であり約ネバだと思います。鬼滅は平和のために死んでもよし、約ネバは平和のために全員生きる。
そしてどちらも、自分と誰かの関係が生きることと深く関わっている。鬼滅は大切な人を守るために自分が死んでもよし、そして敵は絶対許さない。約ネバは大切な人のために自分も死なない、敵とも共生する。
対人関係と敵対関係の四象限がある気がします。その前提に自分の存在の軽重がある。
いわゆるジャンプ漫画はそんなに重い話はないのでこの四象限には当てはまらないし、基本漫画はそんなに当てはまんないような気がしてました。ところがいまの世の中の雰囲気にハマったんでしょうか、自分や相手の命の重さが天秤にかけられているような、そんな気がしております。
そんな社会がどんな社会なのかを解き明かしてみたいんですがね、ほかに売れてる作品を読む必要がありそう。チェンソーマンや呪術廻戦は読んでいるけども、まだ核心には至ったないのでテーマがどこにあるのか気になるところ。
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しかしながら、タンジローにせよエマにせよ、もしも地球でただひとりになってしまったらどうするんだろう。つまり命の天秤が機能しないなかでは主人公はどうなるんだろうか。悟空だったらひたすら自分が強くなることを目指してそうだし、ゴンもそれでも自分の親父を探しているような気がする。
それだけ人との関係性が大事にされているのがこの二作品だと思うんだよ。
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ポストモダンについて勉強していると、脱分化がポストモダンの特徴だとか言われる。つまり階層とかプロフェッショナルとかのモダン社会に至るまでに作られてきた縦と横の差異が曖昧になってくるとかなんとか。アウラの消失、なんて有名な話ですが。
その一方で「大衆」への拒絶として個性が尊ばれるのも特徴だとか。
単純でわかりやすかったものへの反逆であり、個の尊重がポストモダンの特徴とか。その中で最近は縦や横との繋がりが見直されているということかしら。
ある種、手に入らなくなったものを求めてるんだろうか。文化は理想の追求ってことなのかい?
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戦闘力272日目
1699(+4)
勉強+1
その他+3
ダークヒーローなんてのはまさにその一つかもしれないな。規律への反逆。しかし、英雄ではありたいぞ、なんていう感じの。
勉強が必要ですな。