1月16日。
コロナが最近また猛威を奮っている。自分の周りにたまたま罹患者がいないのでその辛さがイマイチわかっていないけども、それでも死に至る可能性がある病ではあると聞いているのでマスクと手洗い、消毒は心がけている。
それはまあそれとしといて、それよりも「コロナ」という言葉を聞くとしんどくなるのはたぶん、その言葉を用いて誰かが誰かを批判する文脈で用いることが少なくないからだと思うんです。
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それも仕方ないことではあると思う。感染の拡大を抑えるために我慢しているんだから我慢しないように見える行動をしていたら、なんであいつは無神経無責任な行動をしてるんだと批判したくなる。
お店を営んでいる人であれば当然ながら営業に響いているだろう。売り上げが落ちれば、人の移動を制限させてる政治に嫌悪を感じるだろうし。
全部仕方ないけど、改めて罪を憎んで人を憎まず精神の大切さを知る機会になっている。
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コロナという文脈であれば、罪ではなく現象とか事実になる。
自粛すべき時期に外を出歩くという事実。対策をしているのに感染拡大がおさまらないという現象。
この事実とか現象自体は憎んでも仕方ないと思う。しかし、外を出歩く人には理由がある場合が少なくないだろう。ならば、その理由を作らざるを得なくしている原因を憎む。
人を憎んでしまうのは、まったくもって建設的でない。感情の対立ほどストレスになるものはないし、解消する方法もないんだから。人と人の対立をしたところでなんにもならない。事象であればどうにかして解決する方法はあるんだから。
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Twitterでしんどくなるのは人を批判する投稿の時。どんなに変なことを言っている人がいたとしても、基本的にはスルーすればいいでしょうに。わざわざスクショしてツイートで広める労力があったら、美味しい料理でも作った方が幸せになれるぞ。
誰しも行動の背景には原因があるんだし、それはそれぞれの人生があっての結果なんだから軽率に批判しない方がよかろうて。
せっかくの人生の一部を、気に食わない人に当たることもないでしょう。聖人君子なら教え導いてもいいけども、たぶんそういう人はTwitterやってないぜ。そんな暇ないもの。
辛くてしんどい時期だからこそ、人のいいところを探した方がいいよ。それのがよっぽど幸せだ。
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戦闘力281日目
1742(+6)
勉強+4
その他+2
優しくなりたいね。どうせなら自分もみんなも幸せになりたいね。