〈847.日々の彩りのこと〉
1月22日。
最近視野が狭まっているような気がする。視覚的な意味ではなく、いやある意味視覚的にもそうかもしれないけど、考える時のルートが同じような感じ。
悪く言えば無難になっているような気がする。無難が悪なのかという話もあるけども、間違いなく楽しさとか彩りはなくなっている。
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視野が狭いってどういうことなんだろう。
ルーティンワークでことが進んでいるようなことだと言えるだろう。与えられた問題について、過去に格闘した経験があって、その経験を生かしてある程度対策が簡単に取れるような感じ。そういう類の問題だけが最近はやってくるような。
ある意味、ルーティンワークに持ち込めているだけ頑張ったという意味ではあると思うぞ。世の中にいる、俺の人生つまんねえと考えている人、つまんなくできているだけすごいんだぞ。俺は今すぐあなたの人生を過ごすことはできない。なぜならわからないことだらけだからだ!
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いやね、こんな話なんの慰めにもならないのです。だって、全員がそうやって生きているんだもの。彩りが欲しいじゃないか。
じゃあ彩りってなんだよ。簡単に言えば刺激ってことだろう?刺激ってなんだよ。
悲しみであり、苦しみであり、悔しさであり、喜びだろうが。感情の動きだよ。感情が激しく動いている時は彩りがねぇとか思わないわけだ。
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じゃあ刺激をもらいにいきましょう。
パチンコか?競馬か?悪くないけどさ、主体性って生まれにくいじゃないか。もちろん情報屋のおっさんになれば、自ら馬の情報とか台の情報とか集めるようになって、ある意味彩りだろうさ。でも、映画にせよ漫画にせよゲームにせよ、情報の受け身であることに変わりはないでしょう。簡単な話、漫才番組見るのと同じだ。
大好きでよく見るんだけども、あれは刺激っていうより気晴らしみたいなものだろう。気晴らしって、気分が曇ってる時に一時的に晴らすだけであって、ポジティブな刺激にはなりにくいだろう。
もちろん芸人志望の人は、漫才番組を「分析して自分のものにしようとする」から刺激になるわけだ。
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つまり彩りの正体って、興味あることを分析して自分の世界に取り入れることだと思うんだ。
へんな話、興味なんにもありません、って人は3大欲求に立ち返れば興味ないわけないんだから。なんで米って美味いんだってところから考えればそれはもう彩りよ。
そして、それが趣味ってことだろう。趣味って言葉のもつ適当さがよくないと思うけど、情熱がそこにあるからとてもいいものだと思うんだけどね、趣味。
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そういうことで、興味あることをもっかい興味が生まれた背景を思い出せば、たぶん楽しくなってくると思うんだ。そしたら彩りも出てくるだろうよ。
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戦闘力287日目
1767(+5)
勉強+2
その他+3
楽しいことは楽しいんだから、勝手に考えちゃうのよ。それが性欲でも食欲でもなんだっていいじゃん。モテたいってのも良い彩りでしょう。欲求が彩りの根源なんだってことに気がついたよ。