ホウチガブログ

~方向性の違いでブログ始めることになりました。~

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〈853.涙腺のこと〉

1月28日。

 

引っ越しが終わった。なんとも長い戦いだった。前回の引っ越しは感傷に浸るような気分だったけど、今回はバタバタの勢いでホイと渡してしまった。夜になって落ち着いた時も別になんの感情もなかった。初めての引っ越しじゃあないもんな。経験を積むってことは感動が減るってことかもしれない。

 

 

しかし、涙腺が緩くなるっていうのは一種の老化現象だと思ってたけど、そうじゃないみたい。この前Twitterで見て納得したんだけど、歳を取る過程でいろんな経験をしたから、他人の経験も自分の経験と照らして考えることができる。

例えば小学一年生にとっては、ゲームと学校とうんこが世界の全てだったからタンジローが頑張ってる姿はクラスメイトとがんばる運動会的な盛り上がりを感じる(ということにしておく)けど、20歳になると家族の大切さとか思い知ったのでそれで家族愛の話なんだと分かってくる。30歳になると親の気持ちと社会の辛さを知るのでなんとも健気で筋の通った男なんだと評価できる。

というようなイメージ。その結果、自分の悲しさとか苦しさとかと、若干重ねつつ感じるものがあるんじゃないか、そして涙腺がゆるゆるとしてくるんじゃないかと思うわけです。

 

 

しかし、人生経験積んでも涙腺が緩くない人もおるでな。

ひとつは単純に自分の経験を解釈してこなかった、ひとつは経験が凄まじくて他人の経験が霞んで見える、ひとつは自分の筋がしっかりしすぎて他人の経験に興味がない。こんな感じかしら。

いずれにせよ、並大抵の人間じゃないからこそ泣かないのかもしれない。よいかもしれないし、悪いかもしれないけど。

しかし、感動ってあったほうが刺激的で文化的な生活が送れそうなもんだけど、実際のところどうなんだろうな。なにもないよりマシだけど、やっぱり自分の経験で感動した方がいいよな。人の感動って自分の感動じゃない分、すぐ消えちゃう気がするもの。

 

つまり、感動を得続けるためには未知のエリアに挑み続ける必要があるってことだ。当然だけど、歳を取れば取るほど未知のエリアのハードルがあがっていくわけだ。

それに挑み続ける人間こそが本当の若さなんだと思うよきぶつじさん。

 

 

しかし300年とか400年とか生きてたら刺激なんて無くなってなんも考えない肉塊になりそうだけどな。