〈886.記憶の場所〉
3月2日。
お別れの時期だ。関西からのお別れ。
学部4年間をお世話になった大阪に行ってきた。週一で通っていたラーメン屋は相変わらず列ができていたし、キャンパスは相変わらずやたら綺麗だったし、でもイオンはそこそこ店が変わっていた。
京都に比べてどうだ、ということではない。大阪は大阪で良い場所だったし、京都は京都で良い場所だった。関西だったからとは言えないけども、僕にとっては関西である必要があったんだろうな。
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文化が違うとか、それはよくわからない。同じ日本だし、味の濃い薄いも家庭の話だろうからそれほど身にしみた覚えはない。もちろん母数としては関西人の方が多いだろうから、日常生活の当たり前に若干ズレがあるところがなかったわけではない。
それでも大半は東京で大学生活を送ったところで変わりはなかったろうと思う。
だとしても、関西である必要があった。実家・地元の指標を取り外すためには絶対的な距離を離す必要があったと思う。
人間関係をゼロから始めなくちゃいけない経験っていうのも必要だった。
寺とか神社とか、観光地に住むことも今の僕を構成する上では不可欠だった。
東日本・西日本のそれぞれの拠点があったこともなんだかんだ視野を広げてくれた。
おそらく関西である必要性はもっと書けると思うけど、思いつくのは結局人との関係性である。
関西人はもちろん多いけど、地方都市出身の人たちが集まる場所でもあると思う。東京もそうかもしれないけど、絶対的な価値観がないのが都会の良いところ。
それは結局いろんなバックグラウンドを持った人がそれぞれの生活を大事にするために必要なことだったからだと思う。その多様な背景と触れ合ったことは間違いなく良い経験になった。
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関西である絶対性はないけど、僕には関西である必要性があった。単純に、京都大阪を先導できるようになったのもカッコええやんけ。
もうじき僕は、京都大阪を離れる。友達と離れる。仕方ない。それもまたステージを変えるということだ。
次、関西に戻ってきたら胸を張って挨拶できるようになっていよう。いつものラーメン屋に行こう。