3月14日。
2ヶ月ぶりくらいにテニスをした。当然だけども期待していたよりプレーできない。体は重いし、ボールは飛ばない。
そうなると、どうしたらもっと強く打てるのか、どうやって体を動かすのか、というような問いが出てくる。しかしそうなるとテニスだとうまくいかないことに気がついた。
というのもテニスは対人競技だからだ。相手がこういうプレーをするから自分はこういうプレーをするというコミュニケーションで競技が進行する。そこんところを自分の世界に引きこもっていたら、相手はプレーを変えていくなかで対応できるわけない。
相手が会話をしようとしているなか、自分だけ禅問答をしているようなもんだ。
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これは対人スポーツ・対人競技であればなんでも当てはまると思う。自分のプレーが悪いのは何故かと問うのは休憩時間であって、プレー中は相手がどんな様子であるのかを観察するのか一番だ。
だって、試合って相手に勝てばいいだけで自分がどんなプレーしようが関係ないからね。相手を観察する中で戦略を練るわけだから、相手がどうなのかを一番分析しなくちゃいけない。
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別の考え方としては、自分らしいプレーをするってこともあると思う。
もちろん、自分の持ち味を活かして勝つのが基本だろう。ハードヒッターのプレイヤーが突然やわこいボールで繋げたところで、慣れてないプレーなんだからいい戦略が出てくるわけがない。武器は武器なんだから。
しかしそれはあくまで自分がどうだ、という話であって、勝ち負けにはこだわらない場合における話だろう。絶不調のときだったり、負け続けで鬱になったり、単純に趣味で楽しむ時だったり。そういう時なら自分中心でよろしかろう。
しかし、相手を喜ばせるあるいは相手を苦しめるときには当然相手を分析することが必要でしょう。コミュニケーションなんだから。
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競技に限らず、社会的な活動をするときにはそうなんだろう。自分がどうっていう時間は家で取ればいい話であって、社会の中でそれをしているようだとまだまだ青いってことだ。社会に出たら、自分が有利になるようにあるいは相手が気持ちよく過ごせるように、そういうなにかしらの利益を求めることになる。そういうときには当然コミュニケーションの相手を見なくちゃいけない。
至極当然だけど、案外見落とすポイントだと気付きました。難しいのよコミュニケーション。