〈936.教官の歴史〉
4月20日。
教習所の教官はけっこう愛想がいいひとばかりである。親からは怖い人もいるとか聞いてたけども、今の時代だとやはりそこらへんの人当たりをよくしないと人が集まらないのだろう。おかげでどうでもいい話をしながら運転したりもするので楽しかったりする。
正直、なんで教官になりたいのかわからない。小中学校と違って生徒に愛もないだろうし、上手くなったところでなにかになるわけでもない。多くが資格のためだけである。そんなところで人に教えてもやりがいがないように思える。そんなとこ、どうなんでしょ。
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今日の教習でちょろっと聞いてみた。そしたらやっぱり車好きっていうのが大きいみたいだ。それはそうかもしれない。生徒のどんな質問にも答えられるだけ車を理解しているということは、それだけ知識を集めるのが苦じゃないということだ。車が嫌いだと選ばない職場だろう。
そしてマニュアル車を好んで乗るような教官もいる。常に車のそばで仕事をしたいのだろう。だからといって工業みたいな製作ではなくできた車に乗るのが好きなのだろう。それを生徒に教えて、好きなことをもしかすると広められるかもしれない。
そういう意味では、車の運転好きにはもってこいの仕事かもしれない。
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その教官はオートマ車からマニュアル車に乗り換えた過去を持っていた。友人のマニュアル車に憧れがあったとのこと。そこでバイトしながら金を貯めて買っちゃったとか。楽しそうに話をしてくれた。
なるほど、こんな田舎の一教官にも歴史があるということだ。職業選択はなかなか面白い人の側面を知ることができる。
ほかの人はどんなことを思って今の仕事をしているのだろうか。もともと営業職だったけど中途採用で教官になった人もいるとか。どんな流れで教習所で仕事をしようと思うんだろう。
身近にいないのでぜひとも話を聞いてみたい。
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人の話を聞くというのは、人文系の研究では基本中の基本である。そこから社会背景だったり、その人の人間関係だったり文化だったりを調べていく。人の話を聞くのが楽しいっていうのは研究にとって大事な要素である。しかし同じくらい、過去の文章を読むことも必要。
僕はフィールドワークは楽しいけど、過去の文献を漁ることがなかなか難しいので研究ではなく、コミュニケーションが要になってくる仕事につきたいと思って就活にシフトした。これもまた人の歴史だと思う。
どんな場所でも研究になるし、どんな人にも歴史がある。そういう意味でも教習所っていう不思議な環境はけっこう魅力だったりする。