ホウチガブログ

~方向性の違いでブログ始めることになりました。~

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〈938.墓場で未来を考える〉

4月22日。

 

就活もそろそろ大事に時期に入って、同時期に教習所に通って、となると目の前のことでバタバタして将来を見据えてどうするとかできなくなってくる。

大学受験の頃に、合格することが目標になってその先どうするかを考えられなくなるのと同じ現象である。この状態をとりあえず「眼前集中状態」と名付けておこう。この状態だと非常に疲れやすくなっているし、なにより足元がおぼつかなくなってくる。この感覚をよーく覚えておくことが大事だと思う。

 

 

眼前集中状態だと、目の前の小さい目標の達成を第一にしてしまい、それをクリアした時に息切れをする。というのもそれに100%のパワーをまわしているので、余裕というか遊びというかそういう余白がないのでキツキツなのだ。

すると、いま眼前にあるものの意義が見失うことになる。

大学合格が目標になって、勉強する意味とか入学する意味を疎かにすることである。

 

これは仕方のないことだけど、地に足ついた感覚がないので非常によろしくない。メンタル的にも居心地が悪いし、なにより長期で考えた時にもっと成長できる機会だったのを無駄にしてしまうかもしれない。

そういう意味で、眼前集中状態になってしまったらソファとかに深く座って1年後どうしたいのか、それはなんのためなのかを考える時間を設けるといいと思っている。

 

 

おそらく仕事が始まっても同じだと思う。目の前のタスクだったり今月の目標の達成のために汗をかくことになると思うけど、そこから先の1年後、5年後、10年後と比べてどこに自分が位置付けられているのかを冷静に見る時間も必要だろう。

もちろん、家族を養うためのお金稼ぎのためだけに仕事をしている場合であればそんな自分がどうなるかなど考えなくてもいい場合があるかもしれない。

 

だとしても、将来こどもが大学受験して入学して、そのためのうん十万うん百万円を用意して、とか考えると日頃の支出とか気晴らしの予算を立てられる。

 

もちろん計画通りに進むわかなわきゃないけど、そうやって余白を作るための余白の時間っていうのは誰しもきちんと取るべきだろう。

それが僕の場合は夜の墓場に行くことだ。親友だったり、先祖にボソボソと現状を伝えるとなんだか落ち着いてくる。

 

眼前集中状態は集中してるわけだもの、ストレスが溜まりやすい。だからこそ、自分を俯瞰するために余裕を持つことが必要だ。

 

今夜は墓場にいきましょう。