5月1日。
実家の面々はお笑いが大好きなので、実家生活になるとお笑い番組を観るようになる。しかもちゃんとネタ見せ番組だったりひな壇番組だけで、俳優女優が出てくる番組は全く見ない。ゲストでちょろっといるくらいのを知ってる程度。
チョコプラとシソンヌが安定して1番好きだけども、もっと若手の面白いコンビもいるもんだね。すげえぜお笑い。
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霜降り明星のせいやを見ているとなんか切なくなってくるのはなぜだろう。たしかに好きだし面白いんだけど、なんだろうな切なくなる。
そんなことないんだろうけど、なんか無理しているような気がしてしまう。ナチュラルにお笑いをやっているんじゃなくて、コメディアンとしてやっているような。コントは安心してみれるけど、トークになると切なさを感じてしまう。
大のお笑い好きの姉曰く、ナイナイ岡村のような元々暗めな人だとか。なるほどそれなら納得である。いわゆる同属な人間が笑いのために極めて明るく振る舞っているように思えてしまうからだろうか。
日本一の芸人なんだから面白いんだけども。漫才とかトークよりもコントの方が好きなんです。
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おんなじような切なさは日常でもある。元々そんなに明るい人間じゃない人が人前で一生懸命笑かそうとしていると、目線や動き、表情でなんとなく同属感を感じて切なくなってしまう。
切なくなったからといってなにかするわけでもないけど、目を背けたくなるというか共感性羞恥というか。
とはいえ、それで人が笑っているなら全く問題じゃないし、お給金が発生しているならなにも口を挟むところはないんだけども。この共感性羞恥がめっちゃ邪魔なんだよなぁ!
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どんな芸人でも告白から展開するものはよくあるけども、コント番組できちんと綺麗なタレントさんを起用してやるような告白コントは苦手で仕方ない。大抵そこでフラれるか成功するけどもなにか悪条件が発生する流れが普通である。なのでお笑いだとわかっていてもみていられなくなる。芸人はプロだしそれでお金をもらってるわけだから、なにも考えなくていいのに。
その点、先日の新しいカギのスタートのコントは新しい展開だったので見ててうれしくなった。
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変な話、ドリフのコントをみているのが1番平和かもしれない。毎回流れは同じだし、オチも読めるけど安心して笑える。誰も傷つかない。
喜劇もお笑いはまったくの別物だと思うけど、どちらかというと喜劇の方が好きなんだと思う。
チャップリンをみよう。