ホウチガブログ

~方向性の違いでブログ始めることになりました。~

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〈952.スタンドバイミー〉

5月6日。

 

高校3年間利用していた電車を使うことになった。最寄駅から高校の最寄駅のちょっと先まで乗った。

相変わらず東京とか京都とは違って大抵は座ることができる。窓から見える風景もほとんど畑か空き地。車両も2両とか3両で小さい。駅員も30分から1時間に一本の電車の相手をするのは飽きるのだろう。近くの踏切がカンカンと音を鳴らすまで駅員室にいる。

7年とか8年とか経つけどもそのまんまってのは懐かしい良い気分になるけども、大丈夫なのかこの街は。

 

 

高校の頃はなんとも思わなかった。というのも比較対象がなかった。生まれ育った街がすべてだったし、テレビや教科書で見る世界は異世界のようなこの世のものではないように感じていたと思う。

先日観たスタンドバイミーの主人公たちの気持ちが痛いほどよくわかる。育った街がすべてだって時はなんにも疑わなかったし、不安とかもなかった。地元に残って仕事をしている同級生も何度か外に出て思うことはあってもそれはそれとしているのだろう。

かくいう僕も地元に戻ってきて1ヶ月たった今、地元の「この感じ」は当たり前になってきた。シャッター街も痛んだ道路も、壊れかけの家も。それが「普通」になる。

 

仮に不満を覚えるとして、街になにができるだろうか。それはそういうもんなんだということで、なんとなく現状維持でいいと思ってしまう。

 

 

慣れというのは怖いもんだね。最初は不満とか違和感だったものが当たり前になって普通になって、むしろそれがないと落ち着かなくなったりする。

それが一括りに悪いとは言わない。発展こそ全てとは思わない。

 

とはいえ、違和感だったものが普通になるというのは自分自身が信じられなくなる。もちろん違和感に感じる方がおかしいこともあるだろうし、世の中のほとんどはそんなもんだと思うところもある。とはいえ、良くないやんって感じたものを放置して直すのがめんどくさくなっているだけだとも思うことはある。

だからこそ初心忘れるべからずってことなんだろうが。その初心が正しいとは限らないけども。

 

 

初心は忘れちゃならんけど、同時に社会の変化に適応することも必要である。じゃあ変化しない地元のようなものはどうしたらいいのか。

どうもしなくていいんじゃないのか。結局必要が生まれた時に変わるもんだし。本気でなにか必要だと感じれば行動を起こせばいいけども。

 

遠くで活動して、それが巡り巡って地元の違和感が是正されればいいんちゃう程度で考えております。

とはいえ地元が渋谷になったらやだけどなー。