5月13日。
夜犬の散歩をしている。日が変わるちょっと前くらいの人通りがない畑道。
この時期はもう草がボーボーで猫が潜んでいて急に出てきてびっくりすることもある。万が一ここにドロボーが隠れてても全く気がつかないだろうな。
そんな草木生い茂る畑道を歩いていると、昔親戚のおばちゃんから聞いた話を思い出す。
おばちゃんが学生の頃は畑道を歩くのは怖かったそうな。空から爆弾が落ちてきたら逃げ道がないらしいからね。
たぶん夏場はまだマシだったのかもしれない。こうやって草が生えていれば空からは見えないだろうな。
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いまいち想像できないな。仮に空から鉄球が落ちてくるとしよう。体育の時間に投げた手のひらサイズのやつ。
あれが飛行機から落ちてきたら、そりゃあコンクリートならひび割れるし、土なら穴ぼこができるだろう。しかし当たって死ぬことはないんじゃなかろうか?狙ってくるにしても鳥のフンに当たるくらいの確率のような気がしてくる。
じゃあそれが100個落ちてきたらどうだ。落ちてくる範囲が広がるので横に避けてもそこに落ちてくるかもしれない。さっきよりグンと死ぬ確率があがった。
さらにその100個の鉄球が落ちて爆発を起こしたらどうなるだろう。その範囲が一つ10mとかならまず逃げられないだろう。
じゃあ爆発はしないけど一気に1000個落とされたらどうだ。
こう考えていくと、なによりもまず空を飛ぶ恐怖の物体に見つけられないことが第一だろうとわかってきた。
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畑に転がり込んで空の様子をうかがうとき、何を思うんだろう。
究極的に人が生きる理由ってそんなになくて、本人とか周りの人が無理やり意味づけをしているにすぎないだろうと考えてはいるものの、いざ死ぬとなったら身が裂けんばかりに拒否するだろう。
弾が直撃して痛む恐怖もあるし、こんな短い人生嫌だと思うだろうし、もっとこうしたかったと後悔とか未練とかで溢れるだろう。
そしてそれが今かもしれないというのは恐ろしくて仕方ないだろう。仮に一度二度うまく逃げ延びたとしても慣れるものじゃあないだろうな。
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これを他人事のように文字にできるんだからありがたい。100年違うだけでこんなにもありがたい時代なんだもんな。草木が生い茂った道を見て蛇がいたら嫌だなあとか思える余裕があるんだもんな。
じゃあ100年後はどうなってるんだろう。
2100年。日本は日本だろうか。戦争をせずに済んでいるだろうか。ギリギリ僕も生きているかもしれない。
その時に100年前の日本の様子を見返せるようにこうやって文字に残してるんだぜ。
勝俣がバラエティでバブル経済が終わることはないと当時思ってたと言ってたのが忘れられない。今では異常なのが当時は当たり前なんだもんな。今の世界をよーくみて伝えたいね。