5月26日。
教習所に通うようになってから、自転車の運転も丁寧になったと思う。免許を持っている人なら誰しも経験があると思うけど、車に乗っていると自転車が非常に邪魔である。となると自分が自転車に乗っている時に、車の運転手に迷惑をかけないようにしようと思うようになる。
これは運転手の立場にならないとわからないことだった。
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これまでの生活では歩行者や自転車の立場としては車に気をつけろと耳にタコができるくらいに言われ続けていた。
一方で事故にあったとしたら車の責任が絶対的に大きくなるともなんとなしに知っていた。ということで道路や交差点では我が物顔で通行していたと思う。
気をつけなくちゃいけないけど、気をつけるべきは車やぞ!みたいな。なんともマナーの悪い歩行者である。
しかし実際に車に乗ったり教習所で勉強させられるとなんとも不条理なことが多い。
どんなに信号を守って、ルールを守って運転していてもふらっと出てきたガキンチョの自転車を跳ねてしまったら責任を問われる。ルール守らなかったのは自転車なのに。それくらい守られた鉄の塊を操作しているんだから慎重になれということだろうが。それで裁かれるのは見せしめしたいなものだ。しかし仕方ない。それが法律である。
そっちの立場での利害だったり立場を知ったからこそ、自分が道路を通行するときは優しくあろうと思えるようになる。
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人の立場になって考える、というのは言うが易し行うが難しである。
いくら時間をかけて考えたところで、実害を被らない立場の人は、実害を被る人の心理状況にはならないし社会的背景を知り得ない。人生における前後の文脈を想像することもできない。
となると、やっぱりその立場に一度立ってみるしかあるまい。道路を歩く立場と車で通行する立場の両方を知って、ようやく双方が取るべき行動が身に染みてくる。
しかし実際に僕は事故にあったこともなければ事故を起こしたこともない。それでなんで理解できた気になっているのか。
実例を知ったからである。いくら気をつけろと言われても、実際の状況を知らなけりゃ必要性を感じない。ということで、実例を学ぶことだ。
相手の立場が分からないのであれば、ネットや本から相手の立場に類似した例を見つけ出し、細かい描写によって、イメージを補填する。
これによってちょっとは相手の立場がわかってくるかもしれない。
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究極的には相手の立場がわかるわけないけども、理解しようと努めることで見えてくる世界もあると考える。
ということで、自分を実際にその場面に身を置いたり、類似事例を深く読み込むことが相手を知るために役に立つでしょう。
なにをいまさら当たり前のことを。