6月17日。
小学生のころ、家族と車でお出かけをして夜の帰り道。いつも気になる空があった。19時とか20時になると、なぜか一部の空が明るい。
親に尋ねるとパチンコ屋があるんだろうと言っていたけど、家の近くにあるパチンコ屋の空は暗い。いくらパチンコ屋がにぎやかだとはいえ空が明るくなるほどではないことはわかっていた。そう質問するときは、その明るさの原因を知りたくて、その根元に行ってみたいと暗に伝えていたつもりだけど、それが通じることはなかった。
夜なのに空が明るいというのは不思議であると同時に恐怖だった。当時意図せずに見てしまったゴジラの映画でそういう描写があった記憶がある。対策本部がゴジラに向かって電気を当てているから夜なのにやたら明るい。
毎度不安に空を眺めていた。
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その空はいつ通っても明るい。ずっと遠くから見ているのに明るいというのは相当な電気を使っているに違いない。
あれから10年以上たった今日も明るかった。関西に出たことですっかり忘れていたあの不安と好奇心に駆られた。
今この車には僕一人だけが乗っている。顔色をうかがう人もいなければ、帰るのが夜中になろうとお咎め無しである。あの頃の僕のために知らない道に向かってハンドルをきった。
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それはそれは奇妙な道のりだった。軽自動車がぎりぎりすれ違えるくらいの細い道。だけどきちんと整備はされていて車通りがないのに信号機が頻繁に設置されている。畑道かと思えば急に住宅街に入って見通しが悪くなり、茂みの木が道に張り出してきて鬱蒼とした雰囲気になる。
だけど常に明るい空が見えていて、そこに向かうように道がずっと続いている。
後ろが明るくなったと思うと、軽トラがすごいスピードで追い抜いていった。追い抜き禁止でたぶん100キロくらい。地元の人だろうか。こんなところにも住む人はいるわけか。しばらくするとその車はふいに横道にそれて闇に消えていった。
街灯もない暗い道が、明るい空に向かって伸びている。もうあと5キロくらいだろうか。広がる空の半分以上が明るくなってきたところでようやく気が付いた。かなり坂道を上ってきているらしい。雲がはっきりと近くに見えている。雲の動きがはっきりと認識できるくらいに風がはやい。
緊張と興奮でスピードを上げる。怪物の正体を知ることができる。
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だんだんと坂を上っていくと、光源が見えてきた。なんというか、ただのナイター照明のようだ。テニスコートで見慣れたようなナイター照明によくあるタイプの丸っこい銀色が見えている。とはいえただのナイター照明でこんなに空が明るくなるわけがない。半分がっかりをかかえて道を進むと、左手に巨大なフェンスと何もないきれいな芝が広がっている。
怪物の正体はゴルフの打ちっぱなしだった。
適当な小道で車から降りる。標高の高いところによくあるただのうちっぱである。ちょっと面積があるからやたらナイター照明が明るいだけ。復活した恐竜もいなければ、対策本部の飛行機もない。あるのは人がいないだだっ広い芝生だけ。
うーむ。
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満たされない好奇心でエンジンをかけると、突然真っ暗になった。時間は23時。空を照らしていた通り、その光がなくなると道の存在すら認識できなくなるほどの暗闇に包まれた。
来るときに通った道は帰りにはさらに危険に満ちたものになった。一寸先は闇のような。自分の車のハイビームでしか世界を認識できない。
実家に続く国道に出たときの安心感は小学生の時と同じものかもしれない。
なるほど、明かりは怪物に対抗するためのものだったのだ。明かりが問題なのではなく、明かりによって照らされていたものが問題だったわけだ。
形のある怪物ではなく、形のない闇だった。
あの道はしばらく通らないだろう。通る必要がないんだから。でもあの闇に飲まれるような感覚はちょっと忘れられないかもしれない。次はゴジラが待っているかもしれないし。次こそ待っていてほしいかも。