ホウチガブログ

~方向性の違いでブログ始めることになりました。~

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〈1004.ゾンビその2〉

6月27日。

 

昨日の話の続き。
ゾンビは人間か否か。
よくあるゾンビ像として人間に噛みついて、思考能力はなくなっているというものがある。
それがもし、言語能力があったらどうしましょう。これがかなり難しくなってくる。

 

 

言語能力があるということは、言語を運用できるレベルの知性が残されているということ。論理立てて説明することができなくても、自分の感情を言葉にする手段はあるということ。仮にゾンビになった大人・こどもが皆、幼稚園レベルの言語能力しかなかったとしても「苦しい」「うれしい」「おいしい」「○○したい」というような欲求を表現することはあるだろう。
ちょうど、賢い犬が行動だけでなく話せるようになったくらいだ。
こうなるとなかなか扱い方が難しくなってくる。

ゾンビというのが、人間ではなく別種の菌類として仮にみなすのであれば歩いて話すキノコみたいなもんだ。であれば、扱いがめんどくさくなる前に狩ってしまえばいい。しかし言葉というのは残酷である。「それちょっと痛いですね」なんて言われようもんなら拳銃を突きつけるのは難しくなる。
言葉あるということは、そこに心なるものをおいてしまうようなものだ。

 

 

例えば、ちょっと前に流行ったロボットの犬を本物の犬と扱いが変わるかどうかのようなものだ。
思考回路は全て人間に作られた物だから、ロボットは道具ですというのであれば、仮に餌が必要だったとしてもあげる義務はないかもしれない。故障しても部品を取り換えれば元通り。
ドラえもんを家電として扱うか、猫として扱うか、人として扱うか。

それがゾンビであれば、敵対生物とするか、野生動物とするか、人とするか。それこそ言語能力があるというのであれば思考能力を育てれば共生の道もあるかもしれない。

 

 

「人」と「人っぽいもの」の違いをどう認識するのか。あるいは「自分」と「自分でないもの」をどう扱うか。「犯罪」と「合法」をどこに置くか
この境界線の引き方が倫理観というやつだろう。

 

しかし、なんで「倫理的に○○するべき」なんていう文言があるんだろうか。
マクロにしていけば、社会的に摩擦が起きないようにするためだろう。

仮に今回のような病気がまた流行してしまい、それが人をゾンビにしてしまうのなら、人はどうするんだろう。
ゾンビを全滅させるために対策をとるのか。共存するか。あるはゾンビに「後天的進化」を遂げるのか。

賢いゾンビと人間は線が引けるのかしら。わからないね。