6月30日。
テニスっていうのは結局ミスのスポーツだと思う。
錦織選手も西岡選手も一回戦の勝利はやはりミスの少なさだと思った。もちろん、そのミスを誘うのはそれまでの攻める姿勢だったり戦略だったりするが、やっぱりミスすれば凹むし、ミスしてくれればプレッシャーもなくなってくる。
要所でしっかりミスなく戦略的にボールを回せるかということが勝ち負けを分けるだろう。
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かつて、めっちゃ強い選手と試合をしたことがある。
結果はかなり差をつけて負けたけど、結局安定度の差である。僕がどんなに強打をしても、それと同じスピードで常に打ってくる。
僕にとっての80%が相手にとっての60%のような感じ。なので、僕はミスする確率も高いが、相手はまだ40%の余力があるのでいけるといった感じだ。
なんとも悲しいが、それが実力の差というものだ。それは単純に筋力差ということもあるが、全身筋力、体力などなど。
野球でいうと、ピッチャーとして永遠に投げ続けられるか、同時にずっと打席を任せられても耐えられるかというようなもんだ。
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もちろん体力的な問題が全てではないけども、いかに体力をつけられるか。大会中であればいかに温存し続けられるか。これが最大の勝負のカギだと思う。
基本的な筋トレとか走り込みとかが嫌いだった僕は、当然ながら大きい大会になると結果を出せなくなる。悲しいね。
こんなしょうもない地味な練習をするよりも、派手な決め球を打ち続けるほうが楽しいし上手くなったような気がするというのはよくわかる。
それがあるから、決め球のミスがなくなるわけだけど、肝心のそのチャンスがこなけりゃ意味がない。
こんな勉強してなんの意味があるんですかという反抗期の生徒に、こんなこともできない君はなんの役に立つんですかあ?と答えた先生がいたとか。
テニスでも結局そういうことだとこの年になってようやく理解できた。
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さて、仮にこどもにテニスを教えることになったらどうやって体力の重要性を理解してもらえるだろうか。
結局のところ、自分で痛みを知り、同時にその痛みを乗り越えることで知ることができる世界を実体験するしかあるまい。難しいね。
あるいは、体力があることがかっこいいと思ってもらうことだろうか。いいモデルであることも大事だろう。
走り込みするかあ。