ホウチガブログ

~方向性の違いでブログ始めることになりました。~

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〈1039.スポーツの型〉

8月1日。

 

スポーツというのはいくつかに分けられるのはわかるだろう。
対戦型、記録型、芸術型。それぞれにボクシング、水泳・陸上、体操。といった具合だ。
そしてそのそれぞれに醍醐味が違ってくる。相手との相性とか、その日の天候、自分と技の相性などなど。
僕自身がテニスを長くやってきたことが理由で、スポーツといえば対戦というような気がしてしまう。
他のスポーツを否定する気はないんだけども、どうしてもしっくりこない。

 

 

小学生の六年間、まじめにピアノをやってきた。所属していたピアノ教室は全国規模のやつだったので、比較的規模の大きいコンクールもあった。
幸いなことに何度か賞状をもらったこともある。
でも発表会のほうが好きだった。
思い切り自由に弾けて、そしてだれからか決定的な評価はされずにだけども先生や友達からは良かったとほめてもらえる。
課題曲もなければある程度譜面の命令を無視してやりたい放題できる。
これが楽しかった。

人の採点に任せることも大事だと思うけど、ピアノはあくまで楽しくできればよいっていう領域を出ることはなかった。


同じ評価をされるのであれば、だれもが文句なくあなたが勝者だと言われる対決型のテニスのほうが強くなりたいと思ってしまった。

単純に競争が以外にも好きだったのかもしれない。

 

 

だからと言って体操やトランポリンが見てて面白くないっていうつもりはさらさらないし、オリンピックでは予選からがっつりテレビにかじりつきで応援してた。
しかしながら、点数がどうやってつけられているのかはさっぱりだった。
もちろん、技の難易度があることはわかるし、確かにやったことがある人からしたら点数もわかるものかもしれない。

 

でも、やっぱり納得いかないような気がしてしまう。
自分が全力でやったところで採点次第だということだ。
そしてその点数はもちろんそれ相応に精通した人たちなんだろうけども、結局は人がつける。


柔道やサッカーの審判がそのまま点数を付けているように感じる。
柔道・サッカーならある程度審判に不服があっても完全な技やシュートが決まれば覆せる。
しかしそれが覆せなかったらだいぶ文句の多い競技になるだろう。

 

 

それを含めての競技なんだろうし、それ前提で選手やコーチも動いているんだろうけども。
どうせなら完全勝利の達成感がほしいな。
そういった意味では記録型のスポーツも理解できるけども。打ち負かすことの気持ちよさとは別種よね。

この勝ち負け、記録、芸術の三つのベクトルはもう少し考えていく必要があるかもしれない。