〈1051.親になるということ〉
8月13日。
同じ年代で父親になっている人がいる。
その人のことは全く否定するつもりがなく、ただ自分が育った環境と全く違うというそれだけである。全く違うので不思議だったという話。
親になるって特別なことだと思うけど、そうでもない人もいるのかもしれない。
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私の両親は、親になるにあたって二人で取り決めをしたらしい。絶対に後悔のない育児をしようということ。そして母親は自らに課したことがある。母親になるということは子供が全ての前提になるということ。なので自分の欲求はないものとするとか。
おかげで過保護レベルの良い環境で過ごさしてもらった。
しかし、その時からまわりでは違う子もいた。親が夜になっても帰ってこない子もいたし、ベロベロな親を介抱する子もいた。
そして僕らは親になる歳になった。
そしてそういう親をどう見てきたか、なるべき親の姿の描き方がそれぞれにあるようである。
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その友達は、親になったけど遠慮なく飲み会に誘ってくる。それを否定する気はないけども、子はどうしているのか。母親が面倒見ているからいい、自分の父母が見ているから良い。らしい。
もちろん親もしんどいことに変わりはないので息抜きはたくさんしてもらうに越したことはないけども。
僕が育った環境とは真逆なので理解に苦しむ点もある。
親というのもいろんな姿はあるけれど、子孫を残すという生き物のメインテーマに後悔とかは残したくない。
となると、子供第一の生活を僕は望む。
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とはいえ、これは自分ごととして考えてない理想論であると思う。
実際に朝から晩まで働いて、休日は子どもと遊ぶというのは最初こそ楽しいことかもしれないが、自分の時間を失うというのはかなりきついことだと思う。
どうやって個人と父親と会社員と夫という複数の姿を使い分けるのか。使い分ける時点でダメなのかもしれない。その4つをひとつにできた時に理想が手に入るのかと思われる。
じゃあ複数のお面を一つにする、つまりお面ではなく自分と一体化するにはどうしたらいいのか。
隠し事を一切しないということだろう。
A面ではひとつの隠し事をして、B面でも一つの隠し事をして、そしてC面で生活をするというのはとんでもないストレスだ。崩壊する。
隠し事なければ、すべてがありのままの姿として生活できる。嘘つかないようにしようということだ。
その父親になった友人というのは奥様や子供に隠し事をしているのかはわからないが、コソコソとバレないようにしていることはあると言う。
隠し事はあかんということでいいのかしら。他にもありそうだけども。