9月3日。
たまたまゲームクリエイターのプロの、グラフィックの作り方の講義を聞く機会があった。
さっぱり何言っているのかわからない。単純に単語レベルの知識不足である。
しかし、そんな僕でもわかったことがある。
そんな細かいところまでやったところで、だれも気づきやしないぜ。
それがプロっちゅうことだろう。
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例えば。
ゲームの登場キャラクターを作っているとしよう。3Dモデル作成というやつだ。
よくわからないソフトで、よくわからないシステムを駆使して作るわけだが、例えば顔の凹凸一つ一つを、現実世界でいうところのセンチ、ミリ、それ以下の単位で修正していく。
これは太陽があたった時に、影に違和感ができないために必要だと言っていた。
ぶっちゃけ影なんてなくてもゲームは成立する。しかし、それじゃあリアルじゃないっていうんだ。
例えば、影のない平坦な絵があるとしよう。イラストとしてなにか説明に使う程度ならなにも文句はあるまい。主人公は説明にあるから。しかし、ゴッホの絵に影がなかったらそれはもう現在まで残らないだろう。
ゲームキャラの影は、そんな重要度の高い話でもないかもしれない。しかし、影があるから「生きている」という錯覚が生まれるわけである。
最終的には、いまゲームしているのかそれとも日常だったか、見分けがつかないレベルまで行くことになるだろう。
VRとかARの技術も発達している。「アバター」の世界も遠くないかもしれない。
プロの細かい修正作業を見せてもらうとそんな気がしてくる。
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昔聞いた話。プロの作家の、○○賞を受賞するような作品は、韻やリズムを常に意識しているとか。五七五だけじゃないのよ。何万字っていうその全てを意識しているということ。
それが本当かはわからないが、今回のグラフィックづくりを見ているとそれもあり得るかもしれないと思える。昔のドラクエのドットが顔はたった5か6くらいのマスの色で十分だったけど、今はわけわからないくらいのミクロな世界まで入り込んで作っている。
文字だって究極的には同じかもしれない。文字は視覚的な美しさも生まれる。文章内容もある。口に出せばリズムもある。ラップみたいな心地よい韻も生まれる。
その全てに妥協せずに挑めば、そりゃあ何万字の文字列にもリズムや流れがあるかもしれない。
それに熱中してしまうのがプロってことだろう。
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こうやって書くと恐ろしい作業のような気がするが、たぶんだれしも他人から見たら理解できないくらいの細かいこだわりがあるかもしれない。
それを仕事としてお金稼ぎの手段になればプロになるわけだ。
いや、そんなにあるわけないか。一般的じゃないからプロなわけだ。
ミリ単位の意識を集中できるものこそ、プロだろうし、プロであるならばそこまでやってこそってことか。
頑張りましょうね。