9月8日。
ひさしぶりに同期とzoomをした。
集まろうといえば、画面越しで集まることに違和感を感じなくなった。そういう意味では便利な世の中になった。遠距離で色々やってる身としてはありがたい。
ひさしぶりといっても半年かそこらなので、全然変わらないことばかりだ。
しかし、20代の半年っていうのは考える未来のことはコロコロ変わるもんだ。聞き飽きないね。
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一人は来月にサービスをリリースできるように頑張っているとか。
一人は来月に母親になるとか。
一人は論文提出後の休憩タイムだとか。
一人は相変わらず先生と将来の相談をしたり衝突したりだとか。
一人は来年留学するために金やら経験やらを貯めているとか。
一人は無事就職先が決まってバイトに精を出しているとか。
一人は暇だから楽器始めるとか。
ここまでは、みんなが来年の論文提出のためにとか、来月の研究会のために、みたいに。ちょっとずつ違うけど、みんなおんなじように論文を読み漁って、自分の研究を磨くことに精を出していた。
それがもう同じ身分でも見ている先が違っている。
ちょっと寂しい気もするけども、やっぱりそれぞれにきっと上手いことやるんだろう。楽しみで仕方ない。
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かくいう僕は半年前と大して考えていることに変わりはない。就職先が完全に決まったくらいかもしれない。
今回みんなが見ていることを聞いていると、置いていかれないように頑張ろうと思える。頑張った先は違うし、そこに勝ち負け優劣はない。だからこそ、みんなに理解してもらえるくらいになにかしら成果を出したいと思う。
かつて、テニスの目標を名前をみんなに知ってもらうことにしていた。当時の言葉をそのまま使えば、僕の名前を全国にとどろかせる、というなんとも曖昧な目標だった。
やっぱり僕はみんなに僕のことを知っていてほしい。
承認欲求、という言葉だとなんとも幼いイメージだけども仕方あるまい。そういう人間だと諦めることにする。
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もう半年後はまだみんな僕のことを知っているだろうし、たぶん学生として最後の同期会をするだろう。
一年後、たぶん連絡はないだろう。それぞれにやっていることに忙しくなり、同期のことを思い出すことはほとんどなくなる。
二年後、写真とかなにか報告ごとがあって思い出して、郷愁に浸るだろう。
五年後、ちょっと誰かと連絡するかもしれない。
十年後、だれか一人くらいデカいことをやっているかもしれない。
そうやって、僕たちが還暦を迎えたときに僕はやっぱりみんなにやっていることを認識してほしいなと思ってしまう。
みんなというのは、同期のことであり、同時にこれまでのすべての同期や先輩後輩である。
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平たくいえば、年賀状がほしいってことだ。これからの時代は紙じゃなくてデータかもしれないけども。
なんだっていい。「去年は活躍してたね、今年もがんばれ」その短い短文で僕はたぶん舞を舞う。