ホウチガブログ

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〈1082.ガチャ〉

9月13日。

 

「親ガチャ」という言葉がある。
スマホゲーでのキャラクターを手に入れる方法としてのガチャから命名されている。「親ガチャ失敗した」というのは、つまり親に恵まれなかったという意味であり、同時に「SSランクの親」は他のところにはいるという意味でもある。


何をもって「親ガチャ失敗」なのか、「SSランクの親」なのかはここでは具体的に言わないけども、この言葉についてネットを見ていると記事になるくらいには議論を読んでいる。

僕は言葉として嫌悪感も別になければ、やめるべきとは思わない。言葉というのは共通認識があるから広まるのであり、納得感を持つ人が多いからである。
つまり、「親ガチャ」は否定のしようがない事実であると思う。

 

 

僕自身の「親ガチャ」はかなりGOODなランクであることに間違いない。大学院にも通わせてもらってるし、24歳にもなってすねをかじっていることを許容してくれている。
「親ガチャ」失敗している友人はいる。そいつ自身、親とは口をきいていないとか言っていた。

恵まれている僕が「親ガチャ」という言葉を肯定するのは、僕自身が「Fランクの親」にならないためである。

 

これは「子ガチャ」とは大きく違うと信じている。
子供は結局、親の努力の結果が投影されていると思う。かつて母は「子供は親の通知表」という表現をしていた。もちろん周囲の環境との兼ね合いや学校でのもろもろも子供の成長に大きく関わるが、その環境を整える努力をした親は、必ず子供も理解していると思う。

つまり、「子ガチャ」なんていうのはただの育児放棄である。「親ガチャ」というのは、そんな子供から見た反面教師としての親の姿である。間違っても「子ガチャ」なんていう言葉で逃げてはいけない。自らをダメ親だと公言していることにほかならない。

 

 

大事なのはたとえ「親ガチャ」に失敗しても、自分の失敗を「全てを」親の責任にしないことだ。
僕は「親ガチャ失敗勢」の気持ちを理解できないけど、その「ガチャ失敗」友人は親とほぼ縁を切って全て自分の責任として高校生のころから自立しようとしていた。
そもそも、親のことを考えたくないとさえ言っていた。

 

確かに「親ガチャ」で成功していればとんでもないアドバンテージである。ステージ1-1からファイヤーを打ちまくれて無限ジャンプができるようなものかもしれない。
しかしながら、足元のブロックに隠されているスターに気づくことができるのは、なんのアドバンテージもないぎりぎりの縛り状況だからこそかもしれない。

それこそ、親のせいでこんなみじめなスタートを切ることになったと考えていたら隠れているスターに気づけないかもしれない。

 

そして、だれしも「なにかしらのガチャ」には失敗しているものなのだ。
乙武さんは「身体ガチャ」に失敗したと言っていたらしい。それが「メンタルガチャ」かもしれないし、「記憶力ガチャ」かもしれない。あるいは「友人ガチャ」かもしれない。

 

 

ゲームを思い出してみてほしい。ガチャは一種類じゃないはずだ。いくつもガチャはあって、一つをしくじってもゲームオーバーじゃない。また素材を集めたっていいし、手に入れたガチャの結果で頑張ってもいいかもしれない。愛着がわくぜ。

「親ガチャ」失敗してもきっと別の「ガチャ」ではSSランクを持っているはずだ。たぶん。