〈1088.頭の片隅とは〉
9月19日。
「頭の片隅に入れといてください。」
この表現に出会ったときにすごく困っていた。真ん中に入れる必要はないけども、外には出さないでおく。ものであればわからんでもないけど、記憶だぜ?そんな器用なことできないわよ。
最近になってようやく片隅に入れるということが掴めてきた。言われた時に、そんなことありましたなぁと言えればオッケーだろうということだ。
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「記憶する」という行為と、「記憶している」という状態はまったくの別物だと思っている。
「記憶する」はやる気次第である。これは完全にオンとオフに二分されると思っていた。そして「記憶している」というのはその結果のことであって、意図的にどうこうできるものではない。
つまり、「頭の片隅に入れておく」というのは「とりあえず記憶しておく」ということで、「記憶する」という行動はオンの状態でありながら、「記憶している」という状態は半分オフみたいなことだと認識していた。
つまり、意図的にどうこうできることではないことを強要されている状態である。
「明日天気になーれで靴を投げて、晴れの目にしてください」と同じくらい、もっと理不尽な要求だと思っていた。
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しかしながら、自分が「頭の片隅に入れといて」という時のことを考えてみる。
ポケモンを全く知らない人に説明する時に、「ロケット団」の話をする時くらいの力の入れようだと思われる。つまり、話の核にはないけども、覚えておけば点と点がつながるような便利なものだということ、覚えなくても話は理解できるもの。
つまり、教える側からしたら知っといたほうがいいけどもマストではないので相手に委ねるというジャンルの知識だということだ。
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ぶっちゃけ、教える側の人間としては無責任なもんだ。勉強している側からしたら記憶はイエスかノーでいこうとする。そんななかで、イエスでもありノーでもある、なんていうのは困っちゃう。
いわゆるアクティブラーニングにはいいかもしれない。勉強する人間が自分で知識の取捨選択ができるだもの。
しかしながら初心者にはやめてあげて。取捨選択ができるのは中級者になってからだから。
すでに教えられた知識で手一杯なんだから、いらない情報はそもそも切り捨てていいですよ。中級者になった時にそこらへん詳しく教えてね。